社会保険労務士川口正倫のブログ

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突然の退職を予防するための対策についての考察

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突然の退職を防止するための対策に関する考察

1.はじめに

従業員が、就業規則等で定められた退職予告期間を守らず、退職代行サービス等を利用して突然退職することがあります。こういう場合、業務引継ぎも満足にできません。また、急な担当者の変更は、顧客や取引先に対する信用問題ともなります。
このように突然の退職は会社にとって深刻な事態であるうえ、実際に起こってしまうと解決は困難です。当該従業員が拒否していれば、強制的に会社に連れて来るわけにはいかないし、代わりに連帯保証人に出社してもらっても業務引継等ができるわけではありません。ケースによっては、連帯保証人に説得を依頼するのは有効な手段となります。
従って、「突然の退職」が発生しないように予め防止策を立てておくことが重要となります。
(なお、突然の退職の法的な性質についてはこちらに詳細を記載しています。⇒「退職代行サービスって本当に2週間前で退職できるの!?」)

2.会社が取り得る予防策

会社が取り得る予防策は、①退職意思を早めに察知すること、②退職予告期間を遵守しない場合にペナルティーを設けることに大別されます。

① 退職意思を早めに察知するための対策

退職代行サービスを利用するような突然の退職となる主な理由は、退職意思をなかなか会社に伝えられないこと(上司がパワハラ体質、人員不足)、退職意思を伝えても会社の対応が遅い(のらりくらりかわされる、退職届を受け取らない)ことであると言われています。実際に退職代行サービスを介し退職意思を受けた時には、「なぜもっと早く伝えてくれなかった」「一度、退職したいと言われただけで、本気とは思わなかった」と会社側の人は考えるかも知れません。しかし、退職する本人にとっては、退職により直接影響(多くの場合は悪影響)を受ける人に対して、「退職したい」とは言い出しにくいのです。
従って、退職意思を早めに察知するためには、当該従業員の退職によって直接影響を受ける可能性の高い人(身近な人)を、退職意思の直接の受領者としないことです。そのためには、退職相談の専門窓口を社内の特定の部署や社外に設置することが有効です。退職意思の受領者を身近な人にしないことが目的ですので、管理部門と現業部門が分かれていないような小規模な会社では、社外に退職相談窓口を設置することがポイントです。相談のしやすさを考えれば、最寄りの弁護士や社会保険労務士あたりにお願いするのがおススメです。
一方で、「退職を言い出しにくいからこそ退職防止になる」という考えもあるかも知れません。しかし、会社が従業員の退職意思を事実として認識しなければ、慰留したり、処遇を改善したり、退職時期を協議したり、後任を手配したりといった対策すら立てようがありません。適切な対応をするためにも、会社は退職意思を極力早めに察知すべきです。もっといえば、定期的な面談等を通じて、近い将来の転職や独立を考えていないのか等を会社はヒアリングしておくべきです。

② 退職予告期間を遵守しない場合のペナルティー

退職意思を会社に伝えられない従業員は、①の対策でだけでかなり減らすことができます。しかし、「退職代行サービス」等が世の中にこれだけ認知されていると、これを悪用する従業員も増えてきます。そこで、突然の退職に対する適法なペナルティーを設けておくことも重要です。
しかし、従業員に対するペナルティーは、労働基準法に抵触しないよう慎重に設計する必要があります。例えば、退職予告期間を遵守しない場合の賠償金を予定すること(労働基準法16条)や予定していなくても賠償金として賃金から金銭を控除すること(労働基準法24条)はいずれも禁止されています。賃金支払期間の関係で、退職後に未払となっている給与を不払いにするのは論外です。また、解雇にするという考えもあるかも知れませんが、その場合は解雇予告手当を支払う必要があります(労働基準法20条)。
なお、以下でペナルティーの案を論じますが、適法性を保証するものではありませんので、ご注意ください。

(1)退職金の減額

就業規則に定めた退職予告期間を遵守できなかった場合に、退職金を減額するものです。就業規則や退職金規程で定める支給基準で、一定の事由がある場合に退職金の減額や不支給を定めることは認められます。
これは退職金が、賃金後払い的性格、功労報償的性格、生活保障的性格という3つの面を併せ持っていて、その中の功労報償的部分については、勤務中の功労に対する評価が減少するような行為があれば、その評価の減少に応じて退職金の額を減額できるという法理に基づくものです。なお、どの性格がどの程度であるかは、各社の退職金の実態によって判断することになります。
退職予告期間を遵守しなかった場合にどの程度の減額が認められるか、明確な基準はありません。しかし、「退職後に同業他社へ転職したときは、自己都合退職の2分の1の乗率で退職金が計算される」規定が、「制限違反の就職をしたことにより勤務中の功労に対する評価が減殺され、退職金の権利そのものが一般の自己都合による退職の場合の半額の限度しか発生しない趣旨である」として、有効とされた判例があります(三晃社事件(最二小判昭和52.8.9労経速958号25頁))。また、鉄道会社の従業員が休日に他社の鉄道の車内で痴漢行為で逮捕され(それ以前にも同様な行為で2度逮捕歴があった)、懲戒解雇となった小田急電鉄事件(東京高判平成15.12.11労判867号5頁)では、7割の減額が認められています。
これらと比較してみると、退職予告期間を遵守しなかった場合には1割~2割程度の減額なら認められる可能性はありそうです。
なお、「退職予告期間を遵守しなかった場合に退職金を減額することがあること」を就業規則や退職金規程に定めていて、さらにその内容が従業員に周知させていることが前提となります。
さて、このような退職金減額の規定が就業規則等に定められていたとしても、突然の退職を思い止まらせる効果がある従業員は限られています。そもそも退職金を受給できなければ、このようなペナルティーは意味が無いからです。多くの会社では、2年または3年以上の勤続年数を退職金支給の条件としているため、これに該当する従業員のみに効果は限られます。
また、中退共等の場合には、懲戒解雇に該当する場合のみ減額が認められるうえ、該当したとしても厚生労働大臣の許可が必要となります。従って、退職金制度を中退共等で行っている会社では、退職金の減額のペナルティーを利用することはできません。(無効的記載事項(死文)として、就業規則や退職金規程に記載しておくだけなら、抑止になるからいいじゃないかと考える人もいるかも知れませんが、ペナルティーがあると誤信して退職予告期間を遵守したため転職の機会を逃す等、問題となる可能性も想定できないわけではないので、止めておくのが無難です。)

(2)減給の制裁

懲戒処分として、「賃金減額の制裁」を行うものです。就業規則の懲戒処分の種類として「減給」を定め、減給となる事由として、「退職予告期間を遵守しなかった場合」を定めておき、その就業規則を従業員に周知させていれば可能です。ただし、減給できる額は当該従業員の1日の平均賃金の半分が限度となります(労働基準法91条・減給制裁の一回の額・総額の制限(昭23.9.20基収1789号))。
従って、適法なペナルティーとして認められる可能性は高いものの、減給の金額が過少なため効果的な予防策ではありません。
なお、これは退職金の減額についても同じことが言えますが、ペナルティーを実施するに際し「弁明の機会」を与えることを口実に出社を促すことも考えられます(単に「退職金の減額」あるいは「減給処分」とだけ記載した文書で通知すれば、金額が不明なため連絡してくる可能性はあります)。しかし、弁明の機会という本来の目的から逸脱して、慰留を行ったり業務引継ぎをさせると、不法行為になる可能性がありますのでご注意ください。

(3)消極的事実公表

就業規則に「退職予告期間を遵守しなかった場合は、事実を公表することがある」と定めておくと、ある程度の予防策になり得ます。
ただし、退職予告期間を遵守しなかった従業員の氏名をホームページ等で公表することはやめるべきです。就業規則に「公表することがある」との規定があったとしても、プライバシー侵害や名誉毀損となる可能性が高いうえ、恥の上塗りともなりかねません(報道されるような重大な事件に伴って、懲戒解雇したようなケースでは公表することもあり得るとは思いますが)。
しかし、転職先や紹介会社等から勤務状況等の照会があった際に、退職予告期間を遵守しなかったことを積極的に告知すると、プライバシー侵害になる恐れがありますが、先方から「円満に退職されましたか?」「引継ぎはきちんとやって退職しましたか?」といった質問を受けた場合は、消極的に事実を伝えても問題ありません。このような場合、「お答えできません。」と回答すれば、それだけで何か「良からぬこと」があったことを先方は察します。すると、単なる退職予告期間の不遵守だけではなく、犯罪のようなもっと重大な行為があったとの疑念を抱かせることにもなりかねないからです。逆に、「円満に退職しました」「きちんと引継ぎをしました」と虚偽の回答をすると、退職者が転職先等で正直に事実を伝えていた場合に問題となりかねませんので控えるべきです。

3.損害賠償請求について

突然の退職によって会社に損害が生じた場合、会社が当該従業員に対して損害賠償請求をすることは、理論的には可能です。労働基準法は、「退職予告期間を遵守しなかった場合は、不足する日数1日つき違約金を1万円とする。」というような規定を、就業規則や労働契約で予め定めることは禁止していますが(労働基準法16条)、実際に生じた損害を請求すること自体は禁止されていないからです。
しかし、突然の退職によって生じた損害に対して、損害賠償請求が認められた判例は、私が知っている限りではケイズインターナショナル事件(東京地判平4.9.30労判616号10頁)のみでほとんどありません。この判例で訴えが認められた大きな要因は、突然の退職によって生じた損害の額が客観的に定まったためです。
しかし、ほとんどのケースでは、突然の退職によって会社に生じた損害を賠償額として客観的に算定できないため、提訴することが困難です。なお、実際に提訴している例には、嫌がらせレベルの訴訟も見受けられます。(裁判になると会社の名称が事件名として残ることが多く、退職者に対して嫌がらせのような裁判を起こした会社として認知されることにもなりかねませんので、嫌がらせレベルの提訴はすべきではありません。例えば、プロシード元従業員事件(横浜地判平29.3.30労判1159号5頁) 現在の会社名は伏せておきますが・・・)

4.おわりに

ペナルティーについて考察したとおり、かなり高額な退職金が支給される従業員を除き、ペナルティーは有効な予防策とはなりません。やはり、退職意思を極力早めに察知することが、突然の退職を予防する最も有効な対策となります。
ところで、退職代行サービスを利用する人が増えていることに対して、「社会人としての常識が無い」「後の人の迷惑を考えていない」という批判があります。しかし、そういう従業員が増えたことが直接の原因ではありません。退職者が出ると後任の確保が難しいという労働市場の現況をが、各社の退職希望者へ対応にまで影響しているのです。例えば、過去10年間に全国の都道府県労働局と労働基準監督署に寄せられた個別労働紛争の内容の推移を見ると、「自己都合退職」の相談件数は、平成21年には「解雇」「労働条件の引下げ」「いじめ・嫌がらせ」「退職勧奨」についで5番目でしたが、平成27年には「解雇」とほぼ同じ件数となり、平成28年以降は「いじめ・嫌がらせ」についで2番目に多くなっていることが、このことをよく示しています。「解雇された」という相談よりも、「退職させてもらえない」という相談が多いのです。

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個別労働紛争の主な相談内容の推移(厚生労働省「平成30年度個別労働紛争解決制度の施行状況」より抜粋)