社会保険労務士川口正倫のブログ

都内の社会保険労務士事務所に勤務する社会保険労務士のブログ



朝日火災海上保険事件(石堂・本訴)(最判小一平9.3.27労判713号27頁)

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朝日火災海上保険事件(石堂・本訴)(最判小一平9.3.27労判713号27頁)

1.事件の概要

Xは、保険会社であるY社が、昭和40年2月1日にD保険会社鉄道保険部で取り扱ってきた保険業務を引き引き継いだのに伴い、Y社に勤務することとなった。
Y社は、同部に勤務していた者をそれまでどおりの労働条件で雇用することとなったが、それ以来、E損害保険労働組合F火災海上支部(以下「組合」という。)との間で、鉄道保険部出身の労働者とそれ以外の労働者の労働条件の統一に関する交渉を続け、昭和47年までに、鉄道保険部出身の労働者の労働条件をそれ以外の労働者の基準まで引き上げることによって就業時間、退職金、賃金制度等の労働条件を順次統一してきたが、定年の統一については合意に至らないまま時が経過し、鉄道保険部出身の労働者の定年が満63歳とされていたのに対し、それ以外の労働者の定年は満55歳とされたままであった。(つまり、Xの定年は、満63歳とされていた)
その後、Y社は、昭和52年度の決算において実質17億7000万円の赤字を計上するという経営危機に直面し、従来からの懸案事項であった定年の統一と併せて退職金算定方法を改定することを会社再建の重要な施策と位置付け、組合との交渉を重ねるようになったが、その間、労使間の合意により、昭和54年度以降退職手当規程の改定についての合意が成立するまでは、退職金算定の基準額を昭和53年度の本俸額に凍結する変則的取扱いがされることとなった。
組合は、常任闘争委員会や全国支部闘争委員会で討議を重ね、組合員による職場討議や投票等も行った上で、本件労働協約の締結を決定し、昭和58年7月11日、これに署名、押印をした。
本件労働協約は、Y社の従業員の定年を満57歳とし(ただし、満60歳までは特別社員として正社員の給与の約60%に相当する給与により再雇用のみちを認めるものとする。)、退職金の支給基準率を引き下げることを主たる内容とするものであるが、鉄道保険部出身の労働者の63歳という従前の定年は、鉄道保険部が満50歳を超えて国鉄を退職した者を雇用していたという特殊な事情に由来する当時としては異例のものであったのであり、本件労働協約が定める定年や退職金の支給基準率は、当時の損害保険業界の水準と対比して低水準のものとはいえず、また、その締結により、退職金の算定に関する前記の変則的取扱いは解消されることになった。
これにより、Xの定年は57歳とされることとなり(当然、Xの退職金はD社から引き継がれた条件よりも悪くなる)、Xが定年引下げと退職金制度の無効を求めて、Y社を提訴した。
なお、Xは労働組合の組合員であった。

2.判決の要旨

本件労働協約は、Xの定年及び退職金算定方法を不利益に変更するものであり、昭和53年度から昭和61年度までの間に昇給があることを考慮しても、これによりXが受ける不利益は決して小さいものではないが、同協約が締結されるに至った以上の経緯、当時のY社の経営状態、同協約に定められた基準の全体としての合理性に照らせば、同協約が特定の又は一部の組合員を殊更不利益に取り扱うことを目的として締結されたなど労働組合の目的を逸脱して締結されたものとはいえず、その規範的効力を否定すべき理由はない。
これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。
本件労働協約に定める基準がXの労働条件を不利益に変更するものであることの一事をもってその規範的効力を否定することはできないし(最高裁平成五年(オ)第六五〇号同八年三月二六日第三小法廷判決・民集五〇巻四号一〇〇八頁参照)、また、Xの個別の同意又は組合に対する授権がない限り、その規範的効力を認めることができないものと解することもできない。
論旨は、独自の見解に立って、原判決を論難するものであって、採用することができない。

3.解説

労働協約中の「労働条件その他の労働者の待遇に関する基準」に違反する労働契約の部分は無効となり、無効となった部分は労働協約上の基準の定めるところによる。また、労働契約に定がない部分についても、同様となる。(労働組合法16条)このように労働協約中の「労働条件その他労働者の待遇に関する基準」は個々の労働契約を直律規律する効力を与えられており、これは規範的効力と呼ばれている。
一般的にいえば、団体交渉は相互譲歩の取引であり、その結果、労働協約には労働者に不利な条項と有利な条項が一体として規定されることが多い。また、継続的な労使関係では、労使の取引は不況時の譲歩と好況時の獲得など時期を異にした協約交渉間でも生じうる。さらに、有利か不利かは必ずしも定かでないし、それ自体では不利だが長期的に見て組合員の利益が図られている場合もある。要するに、労働組合としては、組合員の利益を全体的長期的に擁護しようとして、それ自体では不利益に見える協定をも締結するのである。
このようなことから、近年の裁判例は、労働協約による労働条件の不利益変更の問題について、労使交渉の相互譲歩的性格を認め、不利益変更の効力を原則的に肯定しつつ、特段の不合理性がないかどうか(一部の組合員(効力拡張がある場合は組合員でない従業員も)に特に不利益な協約については、内容に著しい不合理性がないかどうかの判断される。)を吟味する立場をとっており、本判決は、組合員ではあるがD保険会社鉄道部から転籍して来た従業員に対して、定年制及び退職金支給率を不利益に変更することとなる労働協約について、協定締結の経緯、会社の経営状況、協約基準の全体の合理性に照らし、特定または一部の組合員をことさら不利益に取り扱うことなどを目的とするなど、労働組合の目的を逸脱して締結されたものとはいえないとして、規範的効力を肯定したものである。
((菅野和夫『労働法』第十二版930頁乃至931頁一部引用))