社会保険労務士川口正倫のブログ

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ジョブ型雇用と働かないおじさんとマミートラック

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はじめに

近年、ジョブ型雇用について目にすることが多いですが、かなり間違った認識がされているようなので、ジョブ型雇用について簡単にまとめ、ジョブ型雇用の導入により、働かない中高年(いわゆる「働かないおじさん」問題)及びマミートラックの問題を解決できる可能性について紹介します。 なお、ほとんどは濱口桂一郎「ジョブ型雇用社会とは何か」(2021年:岩波書店)に記載されている内容で、以下、この文献を「濱口」と記載します。

1. ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用とは

「ジョブ型雇用」が一昨年当たりからトレンドになっていますが、この言葉は特に新しい概念ではありません。対義語である「メンバーシップ型雇用」とともに昔からある学術用語です(濱口11頁)。誤用されている傾向にあるため、簡単に両者の違いをピックアップしてみたいと思います。

ジョブ型雇用とは:最初にジョブ(職務内容)があり、それにヒトを当てはめて雇用するものです。ジョブは、「職務記述書」(ジョブディスクリプション)に記載されます。 メンバーシップ型雇用とは:ジョブ(職務内容)を特定せずに人を雇用するものです。ジョブは使用者の命令によって定まります。

ジョブ型とメンバーシップ型の根本的な違いは、雇用契約でジョブを特定するかしないかです。この違いにより、メンバーシップ型雇用からは「終身雇用」「年功序列」「企業別組合」という、日本の企業の特徴とされている現象が生じます(濱口24頁)。 ジョブ型とメンバーシップ型により、雇用、賃金、労使関係、採用、解雇及び人事異動という側面で、どのような違いが生じるのか以下にまとめます。

①雇用

(1)ジョブ型

・ジョブを特定して雇用

・ジョブに必要な人員のみを採用し、必要な人員が減少すれば解雇

(2)メンバーシップ型

・ジョブを特定せずに雇用

・必要な人員が減少しても、他の職務に異動させて雇用を維持する(結果的に終身雇用になる)

②賃金

(1)ジョブ型

・ジョブ毎に賃金が定まっており、誰がそのジョブに従事しても賃金は基本的に変わらない

(2)メンバーシップ型

・ジョブが特定されていないので、ジョブに基づいて賃金を決めることができない(これをやると、人事異動で雇用を維持することができない)

・ヒトを基準に賃金を定めるが、客観的な基準として勤続年数や年齢がベースになると結果的に年功序列になる

③労使関係

(1)ジョブ型

・職務毎に賃金が決まるため、職業別または産業別の労働組合となる

(2)メンバーシップ型

・企業別に総人件費をどれだけ増やせるかを決めるため、企業別労働組合となる

④採用

(1)ジョブ型

・企業がある仕事を遂行する労働者を必要とするときに、その都度採用するため、採用は各職場の管理者が決定する

(2)メンバーシップ型

・採用は長期的なメンバーシップを付与するか否かの判断となるため、採用は本社の人事が決定する

・企業の一員であるという地位又は身分を設定することが重要であるため、内定が既に雇用契約になる

⑤解雇

(1)ジョブ型

・ジョブがなくなるというのが最も正当な解雇理由となる(整理解雇が最も正当)

(2)メンバーシップ型

・労働者個人の能力や行為を理由とする普通解雇よりも、労働者に帰責性がない整理解雇の方が厳しく制限される

・雇用維持するために残業や転勤が必要となることから、残業拒否や転勤拒否による懲戒解雇には許容的となる(常時残業をさせることで業務量が減少した際に残業を削減することや業務量が減少していない他の部署に異動させることで雇用維持を図るため)

⑥人事異動

(1)ジョブ型

・他のジョブに配置転換させる権限が企業にはない(同一職務の中で昇進又は降格する)

(2)メンバーシップ型

・業務量に応じて人事異動させることができるように、定期的に職務を変更して様々な職務をできるようにする(1つの業務の専門家になるのではなく、企業の専門家となる)

⑦教育訓練

(1)ジョブ型

・ジョブディスクリプションがあって、それができる人を採用するため教育訓練は外で既に受けており、不要(教育訓練を受けたことがない新卒は就職が困難)

(2)メンバーシップ型

・全くの素人をジョブに就けるため、OJTをする必要がある(パワハラやコミュニケーション能力が重視される要因)。結果的に素人集団である新卒を一括採用することが可能になる

2. 年功序列と「能力」

1.②(2)で「ヒトを基準に賃金を定めるが、客観的な基準として勤続年数や年齢がベースになると結果的に年功序列になる。」と下線部を引いたように、ヒトを基準に賃金を決める際に勤続年数や年齢をベースにすると賃金は年功序列になります。年功序列賃金が日本型雇用システムの特徴の1つになっているのは、まさに勤続年数や年齢をベースに賃金を決めているからで、なぜこのようなことになっているかについて以下に見ていきます。

①生活給

「日本的雇用システムの起源や形成時期についても、さまざまな議論が展開されている。終身雇用の始まりは、明治40年代以降、優秀な労働力の確保を目指した基幹工または常用工の制度にあるとされているが、終身雇用がほぼ全従業員に及ぶようになったのは戦後であり、昭和30年代を通じてであり、年功賃金の誕生については定かではないが、社会科学で認識されるようになったのは、やはり戦後である。また、電産型賃金に象徴されるように、生活給的年功賃金が日本の大企業を中心に普及したのも戦後である。」(谷内篤博「日本的雇用システムの変容」(2008年泉文堂)12頁を一部修正して引用)

このように年功賃金が普及したのは、戦後であるとされています。ここで、「生活給的年功賃金」というフレーズがありますが、「生活給」というのは「賃金は労働者の家族も含めた生活を賄うべきものである」(濱口142頁)という考え方です。この起源は、「第一次世界大戦直後の1922年、呉海軍工廠のトップだった伍堂卓雄中将が、『職工給与標準制定ノ要』の中で生活給思想を打ち出したことに」(濱口142頁-143頁)あると言われていて、「労働者が左翼思想に走らないように家族も含めた生活を賄えるようにすべきだという発想」(濱口143頁)です。これが、法制度としては、太平洋戦争の始まる少し前から国家総動員体制の下での賃金統制として進められ(濱口143頁)、戦中を通じて強化され、最終的には年功的な賃金(生活給)を国が法令で強制しました。

この生活給がどのような考えに基づくものであったか、濱口氏の著書「働く女子の運命」に記載された「賃金制の否定と給与制の確立」(中川一郎「社会政策時報昭和19年6月号)引用すると次のようなものです。生活給が、労務の提供に対する対価であることすら否定し、扶養家族を含んだ家を対象とした生活に必要な費用を賄うものであるという発想であることがわかります(賃金を労働力という特殊な商品の価格としてとらえ,労働力の再生産に必要な生活資料の価値によって賃金が決るとする、マルクス経済学の考え方に近い)。 なお、中川一郎氏は当時名古屋高等商業の教授であった人物です。

皇国勤労観の下に於ては、勤労は皇国民の国家に対する奉仕活動であり、皇国民の国家に対する責任であるから、賃金の如き労務の提供に対する対価の概念は全然認められない。・・・皇国勤労観の下に於ては、奉仕活動を為すべきは皇国民の責任であるが、其の反面皇国民の生活を維持すべきは国家の責任なのである。・・・  給与制は、勤労者個人に非らずして、其の扶養家族をも含んだ家を対象とするものでなければならぬ。・・・  給与制は、勤労者の家を対象として確立されるべきであるから、給与額は当然に家族員数の多寡に依り異る。而も其の差額は・・・従来の様に家族手当の額にとどまるのではなく、実は扶養家族の員数が、給与額決定の重要な一基準となるのである。・・・  給与制は、勤労者及び其の扶養家族の生活保障を目的とするものでなければならぬ。 ・・・それは勤労者の勤務時間、生産数量とは無関係であり、又地域・職種の如何は問わない。 (濱口桂一郎「働く女子の運命」(2021年文春新書)80頁-81頁に記載された、中川一郎「賃金制の否定と給与制の確立」(社会政策時報昭和19年6月号)の一文)

このように、戦中において、賃金というのは家族を扶養するために必要な費用であるという「生活給」という考え方が確立し、国家によって強制的に導入されました。家族を扶養するために必要な費用というのは、子供が成長して大きくなったり、子供の数が増加するにつれて増えるものであり、年功序列賃金に近いものであったと考えられます。

②戦後も守られた生活給思想

太平洋戦争が終了し、賃金統制は無くなりました。一方で、労働組合が多数結成されて、労使紛争が頻発しました。労働組合が労使交渉の結果作り上げた賃金体系が、いわゆる電産型賃金体系です。電産型賃金体系とは、「賃金表は、縦の列は年齢、横は本人、扶養家族一人、二人、三人、四人となっており、本人が何歳で扶養家族が何人かによって自動的に基本給が決まるという仕組みになって」(濱口144頁)いました。つまり、賃金統制がなくなっても、「生活給の発想に最も近い賃金体系が、労働組合の主導の下で作られ、・・・このような賃金体系が広まって」(濱口144頁)いったのです。 このような日本の賃金体系に対しては、GHQや世界労働組合連盟等によって「日本の賃金制度は労働者のやった仕事に関連しておらず、年齢や性別とか婚姻関係といったものによって決まるものでありおかしい」(濱口144頁)との批判を受けました。また、経営者サイドも日本経営団体連合会を結成し「一部に残存する生活給偏重の傾向を捨てて、職階制の長所を採用することによって、人事の基準を仕事内容に置き、仕事の量及び質を正確に反映した給与形態にすることができ、結果として仕事内容と無関係な身分制の固定化と給与の悪平等をなくすことができる」(日経連「新労務管理に関する見解」(1950年)・濱口145頁)、あるいは「生活給ということで年齢や扶養家族で賃金が決まることは悪平等であり、同一労働同一賃金、即ち、異なる労働には異なる賃金であるべきであって、仕事の量と質によって賃金を決めるべきだ」(日経連「職務給の研究」(1955年)・濱口145頁)といった見解を示しています。1955年の時点で、日経連がジョブ型雇用の賃金に近い発想や同一労働同一賃金を提唱していたというのも不思議な感じです。

さらに、政府サイドも1960年の池田内閣による「国民所得倍増計画」で日本的な賃金の在り方に対する批判的な記述をする等、生活給思想を改善する試みを行っており、ジョブ型雇用の賃金に近い「職務給」が定着する方向に社会が進んでも不思議ではありませんでした。

しかし、現在においても「職務給」は例外的であり、代わりに「職能給」が一般的です。

なお、労働者組合は、年功的な賃金の正当化原理を単純な生活給思想ではなく、能力主義(職能給)にシフトしていきました。とは言え、本音としては生活給思想が残っており、ここで言う「能力」は勤続年数や年齢とリンクするものです。

③偽装された「職務遂行能力」

1960年代後半、経営者サイドはジョブに着目する「職務給」からヒトに着目する「職能給」に方針を転換しました。1955年から1972年にかけては高度成長期に当たりますが、1960年後半に労働力不足が進んだことにより、ヒトを囲い込む効果がある生活給が、経営者サイドにとっても都合が良かったことが理由として考えられます。1969年に日本経営者団体連盟が出した「能力主義管理」には、「われわれは先達の確立した年功制を高く評価する。年功制は今日までの日本経済の高度成長を可能とした企業における制度的要因」と年功制を評価する内容が記載されています。

しかしながら、経営者サイドも「単純に年功制を認めるのではなく、能力を厳しく査定することこそが能力主義管理が打ち出したポイントでした」(濱口148頁)。つまり、経営者サイトとしては、これまで主張して来た「職務給」を否定するのではなく、「能力主義」と整合性が取れるロジックを構築する必要があったのです。

これについては、「職務の要求する能力を有する者が適職に配置されるという能力主義の適正配置が実現されれば、職務給、職能給、いずれも同じこと」(濱口148頁)と述べられていますが、職能給と職務給の差異を「職務の要求する能力」という言葉の曖昧さの中に封じ込めて、無理やりこじつけたロジックです。ここで言う「職務の要求する能力」とは、現在では一般的になっている「職務遂行能力」を意味しています。

「職務遂行能力」と字面だけを見れば、職務をする能力なのでスキルや技能を意味するように思われますが、全くそういう意味ではなく、潜在能力を意味する言葉です。具体的にあるレベルの職務を遂行させるかは関係なく、もしこのレベルの職務をさせたとしたら遂行できると「評価」されれば、あるとされる「能力」です。

そして「評価」というのも、実際に職務をやらせてみるわけではないので、実績のように目に見える評価ではありません。しかし、評価をする以上、公平にする必要があるため、極力客観的でわかりやすい基準を用いる必要があり、必然的に勤続年数・年齢が用いられました。また、これには労働組合側が本音として有していた生活給思想が反映されているとも考えられ、「職務遂行能力」には勤続年数・年齢に偽装された生活給思想が含まれており、その結果として年功序列賃金という現象が現れると考えられます。

なお、「評価」の基準としてそれ以外のものを挙げるなら、学歴と情意(やる気)等になります。やる気がどういうものかというと「企業メンバーとしての忠誠心を評価するわけですが、やる気を何で見るかといえば、一番わかりやすいのは長時間労働です。「濱口はどうも能力は高くないけど、夜中まで残って一生懸命頑張っているから、やる気だけはあるな」という評価」(濱口36頁)なので、日本で残業を多くしていることが評価される一因になっています。

3.新卒一括採用と働かないおじさん

さて、日本における新卒一括採用の慣習は戦前より定着していたと言われていますが、これが実現可能であるのもメンバーシップ型の雇用であるからです。あるジョブをできる人を雇用するのがジョブ型雇用における採用なので、就労経験がなく、全くスキルも無い新卒者をわざわざ採用する企業はありません。こういう意味では、メンバーシップ型雇用の恩恵を一番受けているのは、スキルの乏しい若者ということになります。

一方、中高齢者はどうかというと、勤続年数・年齢に応じた「職務遂行能力」が蓄積されているため、賃金は高くなります。元々は生活給思想が偽装された「職務遂行能力」ですが、その言葉が一人歩きし、本人たちも「単に長く勤めているからではなく、職務遂行能力が高いから賃金が高い。」あるいは「職務遂行能力はあるけど、ポストに空きがないため、役職に就くことができない。」と考えるようになります。本人たちがそのように思い込んでくれ、定年を迎えることができたら幸せなことなのでしょうが、「建前を捨てて本音で語れば、企業にとって多くの中高年社員に支払っている賃金は、その貢献に見合わない高給になっている」(濱口102頁)ものと思われます。これが、周囲の期待する役割に対して、成果や行動が伴っていない中高齢社員、いわゆる「働かないおじさん」という現象が生じる理由です。「周囲の期待する役割」というのは賃金に応じた役割と言い換えることができますが、逆に言えば、現在の成果や行動に応じた賃金が支払われているのであれば問題視されることもなく、賃金がジョブに応じて定められるジョブ型雇用であれば、「働かないおじさん」という現象は発生しないのです。

なお、問題視されながらも定年まで不相応に高い賃金を得ることができるのであれば、まだ救いはありますが、「円高不況が来たりバブルが崩壊したりすると、中高年の高い賃金が企業への貢献と見合っているのかが厳しく問われることになります。そして、見合わないと判断された中高年は追い出し部屋に追いやられることになります。これこそメンバーシップ型社会の象徴です。」(濱口104頁)

ジョブ型雇用であれば、スキルも経験もある中高年は転職先を見つけることも容易ですが、転職先がメンバーシップ型雇用ばかりであると、転職も難しくなるのです。そういう意味では、中高齢者はジョブ型雇用の恩恵を受けることができると考えられます。

4.マミートラックの発生

「マミートラック」とは、「出産後の女性社員の配属される職域が限定されたり、昇進・昇格にはあまり縁のないキャリアコースに固定されたりすることです。」(濱口220頁)

メンバーシップ型の雇用では、ジョブを特定せずにヒトを雇用するため、ヒトに仕事を割り振るのは企業の重要な責務になります。従って、ジョブが無いことを理由とする解雇(整理解雇)は容易にはできず、業務が減少した際には人事異動(勤務地や職種の変更)により、企業内で雇用を調整することになります。また、業務の減少に備えて(業務が減少した際に残業を減らす)、さらに2③で説明したように、長時間労働することで職務遂行能力が評価されるということもあり、残業がデフォルトになるのがメンバーシップ型雇用の特徴です。このような働き方を指して、正社員は無限定な働き方を強いられると言われることがあります。

そして、人事異動や残業ありの無限定の働き方がデフォルトであるため、限定的な働き方しかできない出産後の女性社員を重要な職務に就けることができないことにより、「マミートラック」は発生していると考えられます。

従って、逆に言えば、人事異動や残業がデフォルトではないジョブ型雇用であれば、夫婦ともに育児に参加することが容易になり、「マミートラック」という現象は起こりにくくなると思われます。

5.メンバーシップ型からジョブ型への移行モデル

「働かないおじさん」と「マミートラック」の問題は、ジョブ型雇用を導入すれば解消しそうですが、そうすると若者が就職できないという問題が発生することになります。そこで、濱口桂一郎氏は、「若者の入口はできるだけ今までどおりにし、中高年以降をジョブ型にシフトしていこうという議論になるはず」(濱口桂一郎「働く女子の運命」(2021年文春新書)241頁)と述べています。また、「雇用問題の論客である海老原嗣生氏は、・・・入口は日本型のままで、三五歳くらいからジョブ型に着地させるという雇用モデルを推奨して」(「働く女子の運命」241頁))いるようです。

このように入口はメンバーシップ型とし、中高齢になる前にジョブ型に移行するというモデルの方が、いきなり全てをジョブ型雇用に移行するよりは、痛みも少なく現実的であると考えます。新卒で入社し、ジョブローテーションとOJTでスキルを身に付けて、35歳くらいで自身の専門分野を身に付け、それ以降は新卒で入社した企業で固定されたジョブで就労したり、あるいは他社に転職したいのであれば同じジョブで転職するというキャリアパスが一般的になるでしょう。なお、最近こういう人は珍しいとは思いますが、管理職になってより高い職位を目指したいという方は、ジョブ型雇用では「管理職」というのも1つのジョブなので、「管理職」として同じ企業内で昇格して行ったり、あるいは他社で管理職として転職するということも可能です。

それでは、中高齢以降に途中でジョブを変更したいと希望した場合はどうすればいいのかということですが、この点はメンバーシップ型雇用と同様に全く別のジョブに変更するのは容易ではありません。しかし、中高齢以降でジョブを変更する場合は、経験のない全く別のジョブに変更するというよりは、これまでのスキルを活かす形で変更するケースが多いのではないでしょうか。

さて、「マミートラック」の問題はどうなるのかというと、ジョブ型雇用に移行した後、出産・育児することで解消されます。ジョブ型雇用に移行し、限定的な働き方が一般的になる世代同士で結婚して出産・育児をするのです。 しかし、こうなると出産するのが35歳以降という、高齢出産が一般的になりますが、これが生理学的に大丈夫なのかという問題が生じます。 この点について、海老原氏は次のように述べているようです。

だからこそ、事後追認でかまわないから、結婚は35歳まで、出産は40歳までとひとまず常識をアップデートしてほしいのです。これでようやく、クリスマスケーキやOLモデルといった1980年代の幻影から逃れることができるでしょう。 この常識が広まれば、いよいよ女性も普通に、30代を楽しめるイメージが持てるようになるはずです。さらにいえば、もう5歳遅くとも、結婚も出産もできないことはない、という譲歩節を付け加えれないでしょうか。つまり、40歳までに結婚して45歳までに産むことだって、現実的な選択だ、と。(「働く女子の運命」243頁)

これに対して濱口氏は、「これで正しい解になっているのか、正直、私には同意しきれないものがあります。」(「働く女子の運命」243頁)という見解を述べ、また「マタニティという生物学的な要素にツケを回すような解が本当に正しい解なのか、ここは読者の皆さんに問いを投げかけておきたいと思います。」(「働く女子の運命」244頁)と、この論点を締めくくっています。

私としても、高齢出産が一般的になることの是非は生理学的な問題なので、実際のところ、母子や社会にとってどんな影響があるかをよく検証する必要があると考えます。しかし、優先順位を付けて解消できる問題でもありませんので、影響(直感的に良い影響があるとは思いません)がそれほど深刻ではないなら、「入口はメンバーシップ型とし、中高齢になる前にジョブ型に移行するというモデル」を政策として進めるしか、雇用の諸問題を解決する方法はないと感じています。