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瑕疵のある意思表示(心裡留保・虚偽表示・錯誤・詐欺・強迫)

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瑕疵のある意思表示(心裡留保・虚偽表示・錯誤・詐欺・強迫)

瑕疵のある意思表示とは

真意と異なる意思表示を瑕疵のある意思表示と言います。
瑕疵なんてフレーズは日常使うことはないので、おかしな意思表示とでも覚えておくと良いかも知れません。

それはさておき、民法は、瑕疵ある意思表示を心裡留保虚偽表示錯誤詐欺強迫という4つに分けて、それらの要件及び効果について規定しています。
なお、詐欺・強迫は、「詐欺又は強迫」と1つの規定(民法96条)に定められているため、詐欺・強迫で1つとして扱います。

瑕疵ある意思表示は、取消されたり、無効となることがあり、労働契約では退職の意思表示で問題になることがあります。

心理留保

心裡留保)第93条
1.意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。ただし、相手方がその意思表示が表意者の真意でないことを知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。
2.前項ただし書の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。

民法93条本文は「意思表示は、表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても、そのためにその効力を妨げられない。」としています。表意者とは、意思表示する人を言い、表意者が真意と異なると知りながらされる意思表示を心裡留保と言います。
例えば、甲が贈与する意思(真意)がないのに、冗談で「このiphoneをあげよう」と乙に書面で意思表示(心裡留保)し、乙が受諾の意思表示をしたなら、贈与契約が成立し効果が生じます(民法549条。なお、書面によらない贈与は民法550条の規定により、履行されるまではいつでも取り消せます)。これにより、甲は「そんなの冗談だよ」と言い逃れることは認められません。
わざわざそんな冗談を言って相手を惑わした表意者とそれを信じて疑わなかった相手方では、相手方を保護する必要性が高いため、民法93条本文はこのように定めています。
ただし、乙が真意でないことを知っていたり、知ることができた場合には、甲の意思表示を信じておらず、信じたとしても不注意で信じただけなので特に保護する必要もなく、民法93条但書は「ただし、相手方がその意思表示が表意者の真意でないことを知り、又は知ることができたときは、その意思表示は、無効とする。」としています。これにより、贈与契約は無効となります。

労働の分野で心裡留保が論点となった事例として、昭和女子大学事件(東京地決平4.2.6労働判例610号72頁)があります。
私立大学の教授として勤務していた者が、勤務継続の意思を持ちながら、反省の意味で退職願を提出して受理された後、退職の意志表示は心裡留保により無効であるとして、退職の効力を争った事例ですが、「退職の意思がなく退職願による退職の意思表示が✕の真意に基づくものではないことを知っていたものと推認することができる。そうすると✕の退職の意思表示は心裡留保により無効であるから(民法93条但書)、Y社がこれに対し承諾の意思表示をしても退職の合意は成立せず、✕の退職の効果は生じないものというべきである。」とし、退職の意思表示が無効とされました。

虚偽表示

(虚偽表示)第94条
1.相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。
2.前項の規定による意思表示の無効は、善意の第三者に対抗することができない。

民法94条1項は、「相手方と通じてした虚偽の意思表示は、無効とする。」としています。心裡留保は一人でしますが、相手方と通じて、真意と異なる意思表示をすることもあり、これを虚偽表示又は通謀虚偽表示と言います。このような虚偽表示は、両者に意思表示に従うという真意がない以上、その意思表示の効力を認める必要がないため、無効としています。
例えば、税金対策や信用維持のために、不動産の所有者甲が相手方乙と通謀のうえ、甲乙間で売買があったことにして登記を乙へ移転するというケースです。この場合、甲乙間の虚偽の売買契約は無効となります。
ただし、民法94条2項は、そのような虚偽表示であっても善意の第三者(全く事情を知らなかった人)に対しては無効を主張できないとしています。
例えば、乙から、乙の所有物と信じて不動産を買い受けた丙が善意の第三者で、このような丙が不測の不利益を受けないようにするための規定です。

労働の分野で虚偽表示が論点となった事例を私は知りませんが、例えば、今期の課税を逃れるために、会社が真意は貸付として、虚偽の賞与を従業員と通謀して支給し、翌期に社内旅行を実施する際にその参加費用と貸付債権を相殺するような場合や、従業員が失業保険を受給することを目的として、再雇用することを会社と従業員が通謀(真意は休職)し、従業員が虚偽の退職の意思表示をするような場合が想定できます。

錯誤

(錯誤)第95条
1.意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。
一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤
2.前項第二号の規定による意思表示の取り消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。
3.錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第1項の規定による意思表示の取り消しをすることができない。
一 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき
二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき
4.第1項の規定による意思表示の取り消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。

表意者が、真意と表示がくいちがっていることに気付かずに意思表示をすることがあり、これを錯誤と言います(これに対して、気づいている場合は心裡留保や虚偽表示です)。
民法95条は、「意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。」とし、取消すことができる場合として「一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤」「二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤」を定めています。さらに、第2号については、民法95条2項により「前項第二号の規定による意思表示の取り消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。」と取消ができる要件が限定されています。
少々込み入っていますが、大前提として錯誤に基づく意思表示は、「その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるとき」に取消すことができます。
これは、錯誤と意思表示の主観的因果性錯誤の客観的重要性と呼ばれるもので、次の2つの要件を満たしていることを意味しています(改正前民法要素の錯誤と言われていたものです)。

錯誤と意思表示の主観的因果性:錯誤がなければ表意者が当該意思表示をしなかったこと
錯誤の客観的重要性:一般人を基準としてもそのような意思表示をしなかったこと

やたらめったら錯誤による取消を使用されては、取引の安全が図れないため、取消ができる錯誤にしぼりをかけているのです。
例えば、300円で一杯のコーヒーを注文したつもりが、300ドルであったような場合、300ドルであったら表意者が注文しなかっただけでなく、一般人を基準としても注文しなかったと言えるので、この要件を満たします。
300円で一杯のコーヒを注文したところ、好みであるブラジル産の豆を使用してなかったから取消すといういうのは、一般人を基準とするとそのような意思表示をしなかったとは言えないので、要件を満たしません。
そして、「一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤」とは、言い間違いや書き間違いのように意思表示の内容と真意が一致していないことで、表示の錯誤及び表示行為の意味に関する錯誤と言われています。
例えば、ブレンドコーヒを注文したつもりが、アメリカンコーヒを注文したような場合が表示の錯誤で、メニューに「コーヒ」と「アイスコーヒー」が列挙されているにも関わらず、夏にコーヒと注文すればアイスコーヒーが出てくると思い込み、「コーヒー」を注文した場合(真意と異なり、ホットの「コーヒー」が注文される)が表示行為の意味に関する錯誤に該当します。
「二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤」とは、動機の錯誤と言われるものです。例えば、近くに大きな商業施設ができるので、土地の価格が上がるだろうと考えて転売目的で土地を買う場合、買主が買うという意思表示をしたのは、「近くに大きな商業施設ができるので、土地の価格が上がるだろう」という動機(法律行為の基礎とした事情についての認識)があったからです。しかし、実際には大きな商業施設ができるという事実が無ければ、その動機に錯誤(その認識が真実に反する錯誤)があるということになります。
このような動機の錯誤の場合には、表示の錯誤や表示行為の意味に関する錯誤とは異なり、錯誤の存在が意思表示をした人の内心にとどまっています。近くに大きな商業施設ができるから買うのか、環境が気に入ったから買うのか、安いと思ったから買うのか、他者にはわかりかねます。通常の不動産の売買契約書には、土地の所在地や面積等が詳細に記載されていますが、動機は記載されておらず、動機に錯誤があっても、それに対応する表示(外部に表現された意思)はありません。売主からすれば、買主が土地を購入する動機など知ったことではないのです。
そこで、民法95条第2項は「2.前項第二号の規定による意思表示の取り消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。」とし、「その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたとき」つまり、動機の錯誤については、相手方に動機が表示されていることを錯誤による取消の要件としています。
不動産売買の例であれば、買主が「この土地は近くに大きな商業施設ができるので値上がりするだろう」と思っていただけでは錯誤として売買契約を取消すことはできませんが、買主が売主に対して、「この土地を買うのは近くに大きな商業施設ができるからです」というように動機を示していたような事情がある場合には、錯誤による売買契約の取消ができるのです。

ただし、民法95条第3項は、「錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第1項の規定による意思表示の取り消しをすることができない。」とし、次に掲げる場合として、「一 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき」「二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき」を定めています。表示の錯誤、表示行為の意味に関する錯誤又は動機の錯誤のいずれであっても、表意者に重過失があるような場合にまで、錯誤による取消を認めては、取引の安全が図れないからです。
とはいえ、例外として、相手方が錯誤であることを知っていた場合、重大な過失によって知らなかった場合、もしくは相手方も表意者と同じ錯誤に陥っていた場合は、そのような相手方を保護する理由がないため、表意者に重過失があって取消ができるとしています。
動機の錯誤が制限される理由は、取引の安全にあります。そこで、民法95条は「第1項の規定による意思表示の取り消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。」と、表意者は善意・無過失の第三者には取消を主張できない旨を定めています。

労働の分野で錯誤が論点となった事例として、富士ゼロックス事件(東京地判平23.3.30労判1028号5頁)があります。
長期間に渡り、勤怠不正打刻を行っていた従業員が、懲戒解雇になるかもしれないと考え、一度行った退職の意思表示の無効・取消しを主張した事例ですが、「懲戒解雇は、重きに失すると言わざるを得ず、Xを懲戒解雇することは社会通念上相当であると認められない。以上によると、Y社は、Xに対し、有効に懲戒解雇をなし得ず、本件退職意思表示には動機の錯誤が認められ、上記動機はY社に表示されていたといえるから、本件退職意思表示には要素の錯誤が認められる」として、錯誤による退職意思表示の無効・取消が認められました。
※平成30年施行の改正民法で、錯誤は「取消」とされましたが、それ以前は条文上は「無効」とされていました。ただし、判例上は取消に近い無効(取消的無効・相対的無効)と扱われていたこともあり、改正時に「取消」になりました。

また、昭和電線電纜事件(横浜地川崎支判平成16.5.28労判878号40頁)という事例もあります。
仕事上のミスを理由に退職勧奨を受け、退職しなければ会社から解雇されるものと思い、自己都合退職した。しかし、後になって解雇が許されない可能性が高かったことを知り、退職の無効を求めた事例ですが、「本件退職合意承諾の意思表示をした時点で、解雇事由は存在せず、したがって解雇処分を受けるべき理由がなかったのに、Xは本件退職勧奨等により、解雇処分に及ぶことが確実であり、これを避けるためには自己都合退職をする以外に方法がなく、退職願を提出しなければ解雇処分にされると誤信した結果、本件退職合意承諾の意思表示にはその動機に錯誤があったものというべきである。Xのした本件退職合意承諾の意思表示は法律行為の要素に錯誤があったから、本件退職合意は無効である」として、無効が認められました。

このように、実際には解雇や懲戒解雇に該当しないような事案で、該当すると勘違いしてなされた退職の意思表示は、錯誤により取消される可能性があります。

なお、社会保険等の手続をする際に、届出書の記入を間違えることがあります。例えば、資格取得日を「令和3年12月1日」とすべきところを「令和3年11月1日」と、うっかり記入して提出してしまうようなケースです。こういうのは、まさに錯誤なので、後で訂正届を提出する際に理由を聞かれれば、「錯誤により間違いました」ということになります。

詐欺・強迫

(詐欺又は強迫)第96条
1.詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。
2.相手方に対する意思表示について第三者が詐欺を行った場合においては、相手方がその事実を知り、又は知ることができたときに限り、その意思表示を取り消すことができる。
3.前2項の規定による詐欺による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。

民法96条第1項は、「詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる」とし、だまされたり(詐欺)、おどされたり(強迫)してした意思表示も有効ですが、表意者は取消すことができます。これらの場合には、意思表示の動機に加害者が影響を与えて意思表示をさせているので、動機の錯誤に類似しており、第三者が詐欺を行った相手方に対する取消が、民法96条2項により、「相手方がその事実を知り、又は知ることができたときに限り、」と限定されていたり、民法96条3項により、「善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。」と善意・無過失の第三者に取消を主張できないとされているのは、錯誤と同様に取引の安全を図るためです。

詐欺と強迫により、取消ができる要件は次のとおりです。

詐欺
 ① 虚偽の事実が告げられていること
 ② 錯誤に陥って意思表示をしたこと
 ③ ①によって②がなされたという因果関係があること
 ④ だます側にだまそうとする故意があったこと

強迫
 ① 畏怖させる行為があったこと
 ② 畏怖して意思表示をしたこと
 ③ ①によって②がなされたという因果関係があること
 ④ 強迫する側に強迫する故意があったこと

労働の分野で詐欺が論点になったのは、錯誤のところで取上げた昭和電線電纜事件(横浜地川崎支判平成16.5.28労判878号40頁)です。判決は錯誤による無効となりましたが、原告は、錯誤による無効とともに詐欺による取消も求めていました。②錯誤による意思表示という詐欺の要件は、錯誤と重複しています。そのため、錯誤を理由とする取消と詐欺を理由とする取消は、両方主張されることが多いのです。退職勧奨で、解雇されると誤認して退職の意思表示をした場合、勧奨者が伝えた内容が虚偽であったことや勧奨者に誤認させる故意があったことの立証が難しく、詐欺ではなく錯誤による取消のみを求めることはあっても、詐欺だけを理由として取消を求めることはあまりありません。

一方、労働の分野で強迫が論点になった事例として、ニシムラ事件(大阪地判昭61.10.17労働判例486号83頁)があります。
事務所経費で会社の許可していないおやつなどを購入して飲食したことが横領罪にあたるので退職しなければ懲戒解雇や告訴も考えている、といわれた女子従業員が退職届を提出した事例ですが、「懲戒権の行使や告訴自体が権利の濫用と評すべき場合に、懲戒解雇処分や告訴のあり得べきことを告知し、そうなった場合の不利益を説いて同人から退職届を提出させることは、労働者を畏怖させるに足りる強迫行為というべきであり、これによってなした労働者の退職の意思表示は瑕疵あるものとして取り消し得る。」として、取消が認められました。

また、石見交通事件(広島高裁松江支部昭48.10.26高裁民集26巻4号431頁)は、バス会社にガイド見習として試用されていた女子従業員が同社の運転手と情交関係があったところから上司のすすめに応じて退職願を提出したのちに、それが使用者の強迫に基づくものであるとしてその効力を争った事例でも、「所定の懲戒解雇事由に該当する事実がないのにA所長らが、明らかに懲戒解雇に付すべき不当な行状があるとして退職願を提出するよう要求したことは、✕が見習者であったことを考慮にいれても、違法な強迫行為に当るものというべき」として、取消が認められています。

非違行為があった場合に、懲戒解雇事由に該当しないのに懲戒解雇する旨や刑事告訴をする旨を告げて、退職を促すことは、退職の意思表示がなされても、強迫により取消される可能性があります。