社会保険労務士川口正倫のブログ

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イメージの悪い「固定残業制度」の適正な運用

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固定残業制度の適正な運用

1.イメージが悪い固定残業制度

 固定残業制度は、実際に残業をしなくても一定の残業代が支払われる制度なので、個人的にはそれほど悪い制度とも思えませんが、「固定残業制度を導入している会社はブラック企業である」というイメージが若い世代を中心にできあがっているようです。原因は、実残業時間に基づく割増賃金が固定残業代を上回った場合に、超過した金額を精算しない企業が多いこと(実労働時間から計算される割増賃金が固定残業代を上回らないかの検証自体をしない企業も多い)、設定される残業時間と固定残業代が、割増賃金の計算の基礎となる基本給等の賃金と所定労働時間と比較して不適切なケースが多いこと、等が考えられます。また、一定の残業代が支払われるとはいっても、設定された時間程度は残業をしておかないと固定残業代を減らされるのでは?、と思い込む人にとって、あまり高額な固定残業代の設定は長時間労働のイメージに繋がります。
 残業しなくても給料が減らないという意味では労働時間の削減という「働き方改革」の目的にもマッチし、煩雑な残業代の計算業務をある程度軽減でき、求人等での給与の額を多く見せることができる、というように、固定残業制度はメリットが多いだけに、不適切な運用の横行で悪いイメージになってしまったのは残念なことなのです。

2.適正な固定残業制度

 固定残業制度は、テックジャパン事件(最判平24.3.8労判1060号5頁)での櫻井龍子判事の意見で示された要件を満たしておけば、まず違法とされることはありません。また、そのような判例を持ち出さなくとも、労働基準法は最低限の労働条件を定めたものなので、それよりも従業員にとって有利な制度とすれば問題はないのです。
とすると、基本的な要件は次の4つです。

  • ①給与のうち、固定残業代部分とそれ以外の部分が明確にされていること
  • ②設定されたみなし残業時間と固定残業代が適正であること
  • ③設定されたみなし残業時間を超過した場合、あるいは実残業時間に基づき計算した割増賃金の総額が固定残業代を上回った場合に、超過した額を従業員に支給すること
  • ④「固定残業制度」という名称を用いるからには、実残業時間が少なくても決められた固定残業代を支払うこと

① 固定残業代部分とそれ以外の部分が明確にされるとは

 固定残業代部分とそれ以外の部分が明確にされる、というのは給料のうち、固定残業代がいくらで、それは何時間のみなし残業代であるかを雇用契約書等で明確にすることです。
 「賃金30万円(みなし残業代30時間含む)」。雇用契約書等にこのように書かれているだけでも、月の所定労働時間と1日の所定労働時間がわかれば、基本給と固定残業代をそれぞれ計算することは可能ですが、従業員にとってあまりにも不親切です。
 ちなみに逆算は、次のような方程式を立てれば簡単にできます。
 「みなし残業代」は法定時間外労働を想定して設定されるのが通常ですので、基本給をXとすれば、

   X+\frac{X}{月所定労働時間}×1.25×30=300,000

となります。この方程式を解けば基本給が求まり、左辺第2項が固定残業代となります。月所定労働時間を160時間・1日所定労働時間8時間であれば、基本給243,037円、固定残業代56,963円となります。(ちなみ、基本給を243,038円とすると固定残業代は56962.029・・・となり、0円未満の割増賃金が不払いとなるため、基本給のほうの0円未満を切り捨てています。)
とはいっても、雇用契約を締結する際にわざわざこのような計算をして説明し、従業員に理解してもらうのは骨の折れることなので、雇用契約書等に次のように、固定残業代の金額と残業時間にして何時間であるかを明記しておきます。

   基本給:243,038円
   固定残業代:56,963円(みなし残業時間30時間)
   ※月所定労働時間160時間

こう記載しておけば、なんとなくにしても給料と残業時間のイメージがわかるでしょうし、割増賃金に詳しい従業員なら家に持ち帰った後で自ら検証することもできます。

② みなし残業時間と固定残業代が適正であるとは

 固定残業代とそれ以外の部分が明確にされていたとしても、その内容は適正でなければなりません。上記①の例で言えば、固定残業代:56,963円(みなし残業時間50時間)といった記載は不適正です。みなし残業時間の時間単価が法定の割増賃金未満となり、毎月給料を支払っていても、割増賃金の不払いが生じてしまうからです。
 また、みなし残業時間を少しでも多くして基本給を下げたいと考える企業が多いようですが、基本給は最低賃金以上でなければなりません。具体的には、\frac{基本給}{月所定労働時間}最低賃金未満となってはならないのです。(ここでは、給料を基本給と固定残業代だけにしていますが、役職手当等など割増賃金の計算の基礎となる諸手当が他にある場合は、分子に加算します。)
 みなし残業時間の設定についてもう一つ注意しなければならないのは、令和2年8月現在において、建設業や運転手などの一定の例外を除き、月の残業時間が100時間を超えてはならないことです。詳細はこちら(「時間外労働の上限規制」への準備はお済みですか? - 社会保険労務士川口正倫のブログ)を参照していただくとして、大企業では平成30年4月より、中小企業では平成31年4月から施行された「残業時間の上限規制」があるからです。なので、例えば「みなし残業時間120時間」という設定は適正ではありません。

③ 残業時間を超過した場合、あるいは実残業時間に基づき計算した割増賃金の総額が固定残業代を上回った場合に、超過した額を従業員に支給するとは

 固定残業代は、実残業時間がみなし残業時間に満たなくても割増賃金として固定残業代を支払う制度なので、みなし残業時間を上回った場合はその分の割増賃金が支払われます。こんなことは火を見るよりも明らかなのに、やっていない企業が多いことが、「固定残業制度」のイメージを悪くした大きな要因だと思います。ではなぜやらないのか?。
第1に、人件費を固定費とすることを目的として固定残業制度を導入したので、再度変動させることが予算制度上できないため、第2に、煩雑な割増賃金の計算業務を無くすことを目的として導入したので、そもそも実残業時間に基づく割増賃金の計算を一切しないため、第3に、従業員は正確な割増賃金を把握できないだろうから、固定残業代だけ支払っておけば問題ないと目論んだため、などが大きな理由として考えられます。
 第1については、そもそもの残業時間の設定をシビアにやり過ぎた(逆に言えば、見込みが甘かった)ことに尽きると思います。従業員からクレームなどが特になければ見直すこともせず、そのまま運用している企業もあるようです。第2は、固定残業制度を導入すれば割増賃金を全く計算しなくてもいい、あるいは全く支払わなくていい、という誤った認識に基づくものです。ちょっと考えればこんな都合のいい制度が認められることがないのはわかりそうなものですが、こう考えた企業が意外と多いのです。(人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない)。第3は、言語道断です。皮肉なことに、このように目論んだ企業が多かったことが固定残業制度の普及に繋がったのではありますが。
 例えば、セクハラやパワハラという概念が人々に広まっていったように、割増賃金についての認識も徐々に広まっています。当初は、実際によく理解していなかった従業員も多かったのでしょうが、適正な割増賃金の理解が広まり、そんな中で第2・第3のように考えて導入した企業が多かったことが、固定残業制度のイメージを悪くしたのでしょう。
 さて、実残業に基づく割増賃金が固定残業代を上回った場合は超過しなければならない、と言っても、割増賃金の割増率は法定時間外労働(1.25)、深夜労働(0.25)及び法定休日労働(1.35)によって異なります。その一方で、みなし残業時間は時間で定められます。残業時間といえば、一般的に法定時間外労働時間をいうので、固定残業代は法定時間外労働だけが対象となり、深夜労働や法定休日労働は1分でも発生すれば別途割増賃金を支払う必要があるのでしょうか?それとも、法定時間外労働、深夜労働及び法定休日労働の割増賃金を合計が固定残業代を上回らなければその必要はないのでしょうか?
 これは一概に言うことはできません。就業規則雇用契約書で、固定残業制度をどのように定めるかによって異なります。例えば、「一賃金計算期間における法定時間外労働の割増賃金が固定残業代を超過した場合は、別途割増賃金を支給する。」、あるいは「一賃金計算期間における法定時間外労働時間がみなし残業時間を超過した場合は、別途割増賃金を支給する。」とあれば、固定残業代の対象は法定時間外労働の割増賃金に限定されます。一方で、「一賃金計算期間における割増賃金の総額が固定残業代を超過した場合は、別途割増賃金を支給する。」とあれば、法定時間外労働だけではなく、深夜労働や法定休日労働の割増賃金も固定残業代の対象となるのです。なお、この場合のみなし残業時間は、固定残業代を法定時間外労働時間に換算した単なる目安ということになるでしょう。
就業規則を定めていれば、このことが明確にされていると思いますが、そうでない場合は雇用契約書に記載する必要があります。いや、就業規則で定めてあったとしても、雇用契約に明記するのが望ましいでしょう。上記①の固定残業代を例にすれば、次のように記載します。

(固定残業代の対象を法定時間外労働のみとする場合)
  基本給:243,038円
   固定残業代:56,963円(みなし残業時間30時間)
   ※月所定労働時間160時間
   ※固定残業代は法定時間外労働のみを対象とし、深夜労働もしくは法定休日労働が発生した場合は別途割増賃金を支給

(固定残業代の対象をすべての割増賃金とする場合)
  基本給:243,038円
   固定残業代:56,963円(みなし残業時間30時間(目安))
   ※月所定労働時間160時間
   ※割増賃金(法定時間外労働、深夜労働及び法定休日労働)の総額が固定残業代を上回る場合は、超過した割増賃金を支給

 このように言われると、固定残業制度を導入したとしても割増賃金が固定残業代を上回っているかどうかを毎月検証しなければならないのか?、という疑問が浮かぶかも知れません。しかし、全てについて細かく割増賃金を計算する必要まではありません。法定時間外労働だけを固定残業代の対象としていれば、法定時間外労働時間がみなし残業時間を超えなければ計算は不要です。(ただし、深夜労働と法定休日労働は別途割増賃金を計算する必要があります。)また、全ての割増賃金を固定残業代の対象としていても、みなし残業時間と法定時間外等のそれぞれの時間をある程度把握して比較し、割増賃金が固定残業代を上回っている可能性がある場合に計算して検証すればいいのです。深夜労働と法定休日労働があまり発生しない業種であれば、時間外労働の合計でおよその検討はつくでしょう。
 ひとつ言い忘れましたが、所定労働時間が8時間ではない従業員(例えば、パートタイマーや育児短時間勤務者)や半日有給を取得した日の残業に対しては、割増賃金なしの所定外労働に対する賃金(時間単価×1.0×所定外労働時間)が発生することがあります。割増賃金だけではなく、これも固定残業代の対象とするなら、割増賃金と同様に就業規則雇用契約書に記載する必要があります。(例1 固定残業代は所定外労働及び法定時間外労働のみを対象とし、深夜労働もしくは法定休日労働が発生した場合は別途割増賃金を支給。例2 所定外労働の賃金及び割増賃金(法定時間外労働、深夜労働及び法定休日労働)の総額が固定残業代を上回る場合は、超過した割増賃金を支給。)

④ 「固定残業制度」という名称を用いるからには、実残業時間が少なくても、決められた固定残業代を支払うこと

 これは、「固定残業制度」の趣旨から考えて当たり前のことです。ただし、就業規則等に「実残業時間が○時間に満たない場合は、実労働時間に基づき法定の割増賃金を支給する。」などの規定があり、○時間より実残業時間が少なかった場合に、法定の割増賃金を支払い固定残業代を不払いとしても違法とはなりません。当然、○時間はみなし残業時間以下に設定されるべきもので、みなし残業時間の半分ぐらいまで(みなし残業時間が40時間なら、○時間は20時間程度)が、妥当なところだと思います。
 これについては、「不就労時間が32時間以上の場合は、固定残業代を支給せず、実労働時間に基づき法定の割増賃金を支給する。」等の規定を設けて、欠勤が多い月について固定残業代を支給しないといった扱いも可能です。当然、固定残業代以外の基本給等について、不就労時間に応じた控除を合せてすることも可能です。
 なお、実残業時間が少なかった場合に、20時間以内は4万円、20時間超過30時間以内は8万円・・・といったようにあまり細かい設定をすることはお勧めしません。例えば、本来なら18時間程度に残業時間収まりそうな時でも、もう2時間残業すれば多くの残業代が支給されるなら、仕事を作ってでも残業をしようと考える人が必ずいますし、そうでなくても何か釈然としない気持ちが残るものです。また、細かい設定をすればするほど、検証しなければならないケースが多くなり、煩雑な割増賃金の計算を省略するために固定残業制度を設けた趣旨が失われるからです。