社会保険労務士川口正倫のブログ

横浜市の社会保険労務士事務所に勤務する社会保険労務士のブログ

【賃金】平尾事件(最一小平.31.4.25 労判1208号5頁)

【賃金】平尾事件(最一小平.31.4.25 労判1208号5頁)

https://www.rosei.jp/lawdb/common/data/judge/file/0107067RY1.pdf

1.事件の概要

Xは、平成15年2月1日、貨物自動車運送等を営んでいるY社に雇用され、生コンクリート運送業務を行う営業所において、生コンクリートを運送する自動車の運転手として勤務していた。
XとY社との間の労働契約においては、月例賃金は毎月20日締めの末日払いとされ、毎年7月と12月に賞与を支払うとされていた。同契約におけるXの平成25年8月から同26年11月までの支給分の月例賃金(家族手当、食事手当及び交通費を除く。以下同じ。)は月額59万5850円であり、同25年12月及び同26年7月の支給分の賞与は各76万5000円であった。
Xは、全日本建設交運一般労働組合関西支部(以下「建交労組」という。)に所属していたが、 Y社は、経営状態が悪化していたことから、建交労組及びその神戸中央合同分会(以下「建交労組等」という。)との間で、平成25年8月28日、以下の内容の労働協約(以下「第1協約」という。)を書面により締結した。
ア 建交労組等は、Y社が提案した年間一時金を含む賃金カットに応じる。カット率は、家族手当、食事手当及び交通費を除く総額から20%とする。
イ 上記アの期間は、平成25年8月支給分の賃金から12か月とし、その後の取扱いについては労使双方協議の上、合意をもって決定する。
ウ Y社は、前記アによるカット分賃金の全てを労働債権として確認する。カットした金額は賃金明細に記載する。
補足:賃金カットは減給ではなく、「未払賃金」=「労働債権」とする。
エ 経営改善に関する協議は、労使協議会を設置し、Y社、Y社に対して生コンクリート運送業務を委託している株式会社KYC及び建交労組等の3者で3か月ごとを原則として必要に応じて行う。
オ 本協定に定めのない事項は、Y社は、建交労組等と事前に協議し、合意をもって行う。

Y社は、Xに対し、平成25年8月から同26年7月までの支給分の月例賃金については月額11万9170円の合計143万0040円を、同25年12月及び同26年7月の支給分の賞与については各15万3000円の合計30万6000円をそれぞれ減額して支給した(以下、この減額による未払賃金を「本件未払賃金1」という。)。
Y社は、経営状態が改善しなかったことから、建交労組等との間で、平成26年9月3日、前記イの期間を平成26年8月支給分の賃金から12か月とするほかは、第1協約と同旨の労働協約(以下「第2協約」という。)を書面により締結した。⇒平成25年8月から同26年7月の未払賃金の支払を1年繰り延べると同時に、平成26年8月から同27年7月の賃金についても同様に賃金をカットする旨を労働協定で締結した。
Y社は、Xに対し、平成26年8月から同年11月までの支給分の月例賃金につき月額11万9170円の合計47万6680円を減額して支給した(以下、この減額による未払賃金を「本件未払賃金2」といい、本件未払賃金1と併せて「本件各未払賃金」という。)。
Xは、平成26年12月14日、本件訴訟のうち、本件各未払賃金及びこれに対する遅延損害金の支払を求める請求に係る部分の訴えを提起した。
その後、Xは、平成27年3月20日、定年退職した。
Y社は、経営状態が改善しなかったことから、建交労組等との間で、平成27年8月10日、前記イの期間を平成27年8月支給分の賃金から12か月とするほかは、第1協約と同旨の労働協約(以下「第3協約」という。)を書面により締結した。
Y社の生コンクリート運送業務を行う部門は、平成28年12月31日をもって閉鎖され、Xが所属していた営業所に勤務していた建交労組に所属する組合員2名がY社を退職した。Y社と建交労組は、第1協約及び第2協約によって賃金カットの対象とされた賃金債権の取扱いについて協議しこれを放棄する旨の合意をした(以下、この合意を「本件合意」という。)。⇒カットされた未払賃金の債権を組合と会社の合意により、本人の同意もなく放棄した。

2.判決の概要

原審は、上記事実関係等の下において、要旨次のとおり判断して、Xの
本件各未払賃金に係る請求を棄却すべきものとした。
(1) 第1協約にいう賃金カットとは賃金の支払の猶予を意味し、本件未払賃金1については、これにより支払が猶予された。そして、平成26年7月末日が経過した後、支払が猶予された賃金のその後の取扱いについて協議をするのに通常必要な期間を超えて協議が行われず何の決定もされない場合は、当該賃金について弁済期が到来すると解すべきところ、第1協約により支払が猶予された本件未払賃金1は、平成26年7月末日から1か月余り経過した平成26年9月3日に締結された第2協約により更に支払が猶予された。
(2) 第2協約にいう賃金カットも賃金の支払の猶予を意味し、本件未払賃金2については、これにより支払が猶予された。そして、平成27年7月末日が経過した後、支払が猶予された賃金のその後の取扱いについて協議をするのに通常必要な期間を超えて協議が行われず何の決定もされない場合は、当該賃金について弁済期が到来すると解すべきところ、第2協約により支払が猶予された本件未払賃金2は、本件未払賃金1と併せて、平成27年8月10日に締結された第3協約により更に支払が猶予された。
(3) 第3協約の締結後にされた本件合意は、支払が猶予されていた賃金債権を放棄するものであり、これにより、Xの本件各未払賃金に係る債権も消滅したというべきである。

しかしながら、原審の上記判断のうち、本件未払賃金1のうち第1協約によりその締結日である平成25年8月28日以前に具体的に発生したものの支払が猶予されたとした部分及び本件未払賃金2のうち第2協約によりその締結日である同26年9月3日以前に具体的に発生したものの支払が猶予されたとした部分、並びに本件合意によりXの本件各未払賃金に係る債権が消滅したとした部分は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1) 前記事実関係等によれば、本件合意はY社と建交労組との間でされたものであるから、本件合意によりXの賃金債権が放棄されたというためには、本件合意の効果がXに帰属することを基礎付ける事情を要するところ、本件においては、この点について何ら主張立証はなく、建交労組がXを代理して具体的に発生した賃金債権を放棄する旨の本件合意をしたなど、本件合意の効果がXに帰属することを基礎付ける事情はうかがわれない。
そうすると、本件合意によってXの本件各未払賃金に係る債権が放棄されたものということはできない。
(2) そこで、Xの本件各未払賃金の弁済期について検討する。
具体的に発生した賃金請求権を事後に締結された労働協約の遡及適用により処分又は変更することは許されない(最高裁昭和60年(オ)第728号平成元年9月7日第一小法廷判決・裁判集民事157号433頁、最高裁平成5年(オ)第650号同8年3月26日第三小法廷判決・民集50巻4号1008頁参照)ところ、Xの本件未払賃金1に係る賃金請求権のうち第1協約の締結前及び本件未払賃金2に係る賃金請求権のうち第2協約の締結前にそれぞれ具体的に発生していたものについては、Xによる特別の授権がない限り、労働協約により支払を猶予することはできない。そうすると、Xによる特別の授権がない限り、本件未払賃金1に係る賃金請求権のうち第1協約の締結日である平成25年8月28日以前に具体的に発生したものについては、これにより支払が猶予されたということはできないし、本件未払賃金2に係る賃金請求権のうち第2協約の締結日である同26年9月3日以前に具体的に発生したものについて、これにより支払が猶予されたということもできないというべきである。
そして、本件各未払賃金のうち、第1協約により支払が猶予されたものについては第2協約及び第3協約が締結されたことにより、第2協約により支払が猶予されたものについては第3協約が締結されたことにより、その後も弁済期が到来しなかったものであり、これらについては、第3協約の対象とされた最後の支給分(平成28年7月支給分)の月例賃金の弁済期であった同月末日の経過後、支払が猶予された賃金のその後の取扱いについて、協議をするのに通常必要な期間を超えて協議が行われなかったとき、又はその期間内に協議が開始されても合理的期間内に合意に至らなかったときには、弁済期が到来するものと解される。
この点につき、原審は、本件未払賃金1に係る賃金請求権のうち第1協約の締結前及び本件未払賃金2に係る賃金請求権のうち第2協約の締結前にそれぞれ具体的に発生していた賃金請求権の額、第1協約及び第2協約が締結された際のXによる上記特別の授権の有無、平成28年7月末日以降、Y社と建交労組等との間で支払が猶予されていた賃金についての協議の有無等を認定しておらず、原審が確定した事実関係の下においては、本件各未払賃金の弁済期を確定することはできない。
もっとも、第1協約、第2協約及び第3協約は、Y社の経営状態が悪化していたことから締結されたものであり、Y社の経営を改善するために締結されたものというべきであるところ、平成28年12月31日にY社の生コンクリート運送業務を行う部門が閉鎖された以上、その経営を改善するために同部門に勤務していた従業員の賃金の支払を猶予する理由は失われたのであるから、遅くとも同日には第3協約が締結されたことにより弁済期が到来していなかったXの賃金についても弁済期が到来したというべきであり、原審口頭弁論終結時において、本件各未払賃金の元本221万2720円の弁済期が到来していたことは明らかである。
以上と異なる原審の前記判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、原判決中、本件各未払賃金に係る請求及びこれに対する遅延損害金の請求に関する部分は破棄を免れない。そして、以上に説示したところによれば、Xの請求のうち、本件各未払賃金の元本221万2720円を請求する部分は認容すべきである。また、Xの請求のうち、本件各未払賃金に対する遅延損害金を請求する部分については、その遅延損害金の起算日について更に審理を尽くさせるため、同部分につき本件を原審に差し戻すこととする。