社会保険労務士川口正倫のブログ

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コーセーアールイー事件(第一審 福岡地判平22.6.2労判1008号5頁)

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コーセーアールイー事件(第一審 福岡地判平22.6.2労判1008号5頁)

1.事件の概要

Xは,平成21年3月にH大学を卒業する予定であったところ,平成20年4月ころ,不動産売買,賃貸,斡旋,仲介及び管理等を営むY社の会社説明会に参加し,適性検査や面接試験を経て,同年5月28日,Y社の最終面接を受けた。
Y社は,Xの採用内々定を決定し、同月30日ころ、Xに対し、「採用内々定のご連絡」と題する書面(以下「本件内々定通知」といい、これによるXの内々定を「本件内々定」という。)及び入社承諾書を送付し、Xは、同月31日付けで入社承諾書に記名、押印して返送した。
本件内々定通知は、Y社の人事事務担当であるBの名義で作成され、その内容は「今回は当社求人へご応募頂き誠にありがとう御座いました。厳正なる選考の結果、貴殿を採用致すことを内々定しましたのでご連絡致します。つきましては、同封の書類をご用意頂き当社までご郵送下さい。」というのもので、提出書類(同封の書類)である入社承諾書の提出期限が記載され、また、「※正式な内定通知授与は平成20年10月1日(水)を予定しております。」と記載されていた。
また、入社承諾書は、Y社代表取締役宛で、「私○○は平成21年4月1日、貴社に入社しますことを承諾致します。」という内容であり、上記○○に名前を入れ、末尾に、日付、現住所、氏名を記載して、押印するというものであった。
Bは、同年9月25日、Xに電話をかけ、内定式は行わないが、採用内定通知書の授与をY社事務所で行うことを伝えて、Xに都合を尋ね、内定通知の授与は、同年10月2日に行われることとなり、Xは、当日午後1時にY社事務所に行くこととなった。その後、Y社は、X告に対し、同年9月29日付け「採用内々定の取り消しのご連絡」と題する書面(以下「本件取消通知」といい、これによる本件内々定の取消しを「本件内々定取消し」という。)を送付し、Xは同月30日頃これを受領した。
本件取消通知の内容は、「さて、皆様におかれましてもご高承のとおり、昨夏以降の建築基準法改正やサブプライムローン問題、更には原油に代表される原材料、燃料等の暴騰といった複合的要因により、不動産市況は急激に冷え込み、弊社を取り巻く経営環境は急速に悪化しております。このような環境の下、弊社は中期的な事業計画を見直すこととなりました。新規学卒者に関しての採用活動についても慎重に検討して参りました。その結果、来年度の新規学卒者の採用計画を取り止めることといたしました。つきましては、先般、ご連絡差し上げました採用内々定の件、誠に申し訳御座いませんが、取り消しさせていただくことになりました。大変残念な結果となりましたが、何卒、弊社の事情をご賢察いただけますようお願い申し上げます。」というものであった。
Xは、同年10月1日、Y社に本件内々定取消しについて抗議しするメールを送付したが、Y社からメールも含めてXに対する詳しい説明等は行われず、Xの採用内定及び本採用は行われなかった。
Xが、Y社に対して、内々定の取消しを受けたことは違法であるとして、債務不履行又は不法行為に基づいて、損害賠償を請求したのが本件である。


2.判決の概要

① 本件内々定によって、労働契約が成立しているか

Y社は、不動産デベロッパーとして、マンションの計画から、土地所有者、金融機関、建築業者等との交渉、販売等を手掛けているが、平成19年の建築基準法改正や原油価格等の原材料の高騰等によって、マンションの製造コストや販売に影響が出て、資金繰りが悪化した。そのため、平成20年1月ころ、平成21年4月の大学卒業予定者(新卒者)の採用予定について、平成20年4月採用の11名から5名に減らす方針を決定した。
しかし、その後もアメリカ経済を始めとする経済状況の悪化が続くことから、Y社は、経営改善のために出張社員の住宅費見直し、時間外手当や出張旅費日当の削減等の経費削減策を実施したほか、同年5月ころには、新卒予定者の応募状況等を考慮して採用予定者を3名に減らすことを決定した。しかし、将来的な人材の確保等という観点もあって、経営環境の悪化には現行の経費削減で対応し、来年度以降の予算で対応できる新卒者の採用を取り止めるなどということは全く検討されていなかった。
Xは、同年4月ころから、Y社の会社説明会適性試験、面接等を経て、同年5月30日ころ、本件内々定を受け、本件内々定通知を受領した。
また、訴外Dは、平成21年3月にG大学を卒業予定であったが、平成20年6月頃から、Y社の会社説明会適性試験、面接等を経て、同年7月7日ころ、採用内々定を受け、本件内々定通知と同様の書類(以下、Dについての内々定やその受領書類についても、Xと同様の略称を使用する。)を受領した。
Y社においては、同年10月1日に正式な内定を予定しており、内定後に、内定者に対して、採用内定通知書や労働条件通知書(雇入通知書)を交付して、具体的な労働条件を通知し、卒業見込証明書や健康診断書等を提出させることとしており、本件内々定通知にも、このことが明記されていた。
ただし、平成19年(平成20年4月採用)までの就職活動については、一般に新卒者に対する求人数が多く、新卒者側に有利な状況にあり、Y社でも複数の内々定をもつ新卒者がY社の内々定あるいは内定を辞退する例も多く見られたため、Y社では、辞退を少しでも減らすために、平成20年からは、本件内々定通知とともに入社承諾書を送付して、内々定者にこれを内定前の提出期限までに送り返すように求めることとした。
X及びDは、正式な内定が同年10月1日に予定されており、未だに内々定の段階であることは知っていたが、Y社への就職を希望しており、それまで内定(あるいは内々定)の取消しなどという話はほとんど聞いたことがなく、このままY社に就職できるものと考えて、それぞれ直ちに入社承諾書をY社に返送すると、他の企業への訪問等を止めて就職活動を終了した。特に、Xは、採用内々定の通知を受けていた企業及び最終面接を受けていた企業にそれぞれ断りの連絡を入れた。
Y社においては、X及びD以外の新卒予定者が内々定を辞退するなどしたことから、結局、X及びDの2名のみが今年度の内々定者となった。
Y社の担当者であるBは、同年7月30日、X及びDをY社事務所に呼んで、同人らに説明等を行い、Y社取締役管理部長であるC(以下「C」という。)もXやDと会って話をした。
その際、アメリカでの銀行の経営破綻等によって、さらなる経済状況の悪化が続いていたことから、Y社の経営状況や採用について話題となり、Y社は、そのころ夏季賞与カットや退職勧奨等の経営改善策に着手していたが、Cは、前記のとおり新卒者の採用は維持する予定であったことから、上記経営改善策のことには触れず、X及びDに対して、「うちは大丈夫」などと発言した。
その後も経済状況の世界的悪化は続き、福岡でもマンションデベロッパー数社が経営破綻したほか、同年9月には、アメリカ大手の投資銀行であるリーマン・ブラザーズが経営破綻して、同社が発行している社債や投信を保有する企業やその取引先等に波及して、いわゆるリーマン・ショックといわれる世界的金融危機となった。
Y社は、同年8月4日から同年9月20日までの間に、従業員4名を退職勧奨によって順次退職させるなど経営改善策を進めていたが、同年8月頃、取締役会等において、これまでの経営改善策では不十分であり、新卒者の採用見直しを含めた更なる経営改善策が検討されるようになった。
しかし、Bは、そのような事情を知らされておらず、従前からの予定通り、同年9月25日ころ、X及びDに対し、それぞれ電話をかけて、内定式等という形式張ったものは行わないが、Y社は、同年9月中旬ころ、短期決算の結果がまとまり、同年3月の業績予想を大幅に下方修正せざるをえなくなったが、同年9月26日以降に至って、X及びDの正式内定となればその取消しは困難になるなどと考えて、X及びDの本件内々定を取り消すことを決定し、同年9月30日頃、X及びDそれぞれに対し、本件取消通知を送付した。
Dは、本件取消通知を受領するとすぐにBに対して確認及び説明を求める電話をしたが、Bが書面のとおり決定されたのでどうしようもないという態度だったので、Dは、電話を切った。
Dは、本件内々定取消しに納得できず、宅建の試験を終えた同年10月末頃、自らの大学の学生キャリアセンターに相談し、その勧めで、就職活動を再開するとともに、厚労省管轄の福岡学生職業センターに相談した。
Y社は、福岡学生職業センターの指導を受けて、同センター宛に同年12月18日付け「内々定取消回避に関する事項」と題する書面を、G大学宛に、同月22日付け「内々定取消しに関するご報告」と題する書面を送付したが、XやXが在籍するH大学には何の連絡もなかった。
さらに、Dは、Y社を相手方として、当庁に労働審判を申し立てたが、H大学を通じてXにも連絡を取り、Xも、同様に労働審判を申し立てた。
Dは、平成21年1月ころ、現在の就職先から内定通知を受け、同年4月から働き始めた。一方、Xは、平成20年12月ころから就職活動を再開したが、その後も就職先が決まらず、同年4月以降も就労していない。
Y社では、平成21年5月から、Y社取締役報酬について1年間15パーセントのカットが行われており、また、株主への配当も、前年度の1株あたり1750円から1000円に減額されている。

これらの認定事実によると、Y社は、倫理憲章の存在等を理由として、同年10月1日付けで正式内定を行うことを前提として、Y社の人事担当者名で本件内々定通知をしたものであるところ、内々定後に具体的労働条件の提示、確認や入社に向けた手続等は行われておらず、Xが入社承諾書の提出を求めているものの、その内容は、内定の場合に多く見られるように、入社を誓約したり、企業側の解約権留保を認めるなどというものでもない。また、Y社の人事担当者が、本件内々定当時、Y社のためにXとの間で労働契約を締結する権限を有していたことを裏付けるべき事情は見当たらない。
さらに、平成19年(平成20年4月入社)までの就職活動では、複数の企業から内々定のみならず内定を得る新卒者も存在し、平成20年(平成21年4月入社)の就職活動も、当初は前年度の同様の状況であり、Xを含めて内々定を受けながら就職活動を継続している新卒者も少なくなかったという事情もある。
したがって、本件内々定は、正式な内定(労働契約に関する確定的な意思の合致)とは明らかにその性質をことにするものであって、正式な内定までの間、企業が新卒者をできるだけ囲い込んで、他の企業に流れることを防ごうとする事実上の活動の域を出るものではないというべきであり、X及びDも、そのこと自体は十分に認識していたのであるから、本件内々定によって、Xが主張するような始期付解約権留保付労働契約が成立したとはいえず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

期待権侵害あるいは信義則違反の有無

認定事実によれば、Y社は、世界的な経済状況の悪化、Y社を含む不動産業界全体の不振、Y社の資金繰りの悪化等を十分認識し、夏季賞与カット、退職勧奨等の経営改善策を進める一方で、平成20年7月までにX及びDの内々定を決定し、入社承諾書を提出させたほか、同年7月30日には、X及びDをY社事務所に呼んで、担当者B及び取締役管理部長Cで対応して、経済状態の悪化等があってもY社は大丈夫等と説明し、同年9月25日には、同年10月1日のX及びDの正式内定を前提として、採用内定通知書交付の日程調整を行って、その日程を同月2日に決めたものである。
このような事実経緯からみる限り、Y社は、平成20年9月下旬(早くとも同月25日)に至るまで、Y社の経営状態や経営環境の悪化にもかかわらず、新卒者採用を断念せず、X及びDの採用を行うという一貫した態度を取っていたものといえる。
したがって、Xが、Y社から採用内定を得られること、ひいてはY社に就労できることについて、強い期待を抱いていたことはむしろ当然のことであり、特に、採用内定通知書交付の日程が定まり、そのわずか数日前に至った段階では、Y社とXとの間で労働契約が確実に締結されるであろうとのXの期待は、法的保護に十分に値する程度に高まっていたというべきである。
それにもかかわらず、Y社は、同月30日ころ、突然、本件取消通知をXに送付して本件内定取消しを行っているところ、本件取消通知の内容は、建築基準法改正やサブプライムローン問題等という複合要因によってY社の経営環境は急速に悪化し、事業計画の見直しにより、来年度の新規学卒者の採用計画を取り止めるなどという極めて簡単なものである。また、Xからメールによる抗議を受けながら、Xに対して本件内定取消しの具体的理由の説明を行うことはなかった。以上のように、Y社が内々定を取り消した相手であるXに対し、誠実な態度で対応したとは到底いい難い。
加えて、Y社は、経営状態や経営環境の悪化を十分認識しながらも、なおY社は新卒者であるX及びDの採用を推し進めてきたのであるところ、その採用内定の直前に至って、上記方針を突然変更した具体的理由は、本件全証拠によっても、なお明らかとはいい難い。特に、Y社における取締役報酬のカット幅や株主への配当状況等に照らせば、Xが、当時、いわゆるリーマン・ショック等によって緊急かつ直接的な影響がY社にあると認識していたのかは疑わしく、むしろ、経済状況がさらに悪化するという一般的危惧感のみから、X及びDへの現実的な影響を十分考慮することなく、採用内定となる直前に急いでX及びDの本件内々定取消しを行ったものと評価せざるを得ない。そして、本件全証拠によっても、当時、XについてY社との労働契約が成立していたと仮定しても、直ちにXに対する整理解雇が認められるべき事情を基礎付ける証拠はない。
そうすると、Y社の本件内々定取消しは、労働契約締結過程における信義則に反し、Xの上記期待利益を侵害するものとして不法行為を構成するから、Y社は、XがY社への採用を信頼したために被った損害について、これを賠償すべき責任を負うというべきである。

③損害額について

(1) 賃金相当の逸失利益
期待権侵害に基づく損害賠償の対象は、Y社への採用を信頼したためにXが被った損害に限られ、XがY社に採用されれば得られたであろう利益を損害として請求することはできないと解される。
この点、XがY社以外に内々定を受けていた企業の給与が20万円であったことを認めるに足りる証拠はない。また、同社の内々定を断った当時においては、平成20年5月30日に本件内々定を受けて、Xが入社承諾書をY社に送付したものにすぎないから、Xの期待権は法的保護に値する程度に達していたとはいえず、他に本件内々定の取消しと相当因果関係を有する賃金相当の逸失利益を認めるに足りる証拠はない。

(2) 慰謝料
上記認定の本件内々定から本件内々定取消しに至る経緯、特に、本件内々定取消しの時期及び方法、その後のY社の説明及び対応状況、Xの就職活動の状況及び現在も就職先が決まっていないことなど、本件に現れた一切の事情を総合考慮すると、Xが本件内々定取消しによって被った精神的損害を填補するための慰謝料は、100万円と認めるのが相当である。

(2) 就職活動費
Xの支出した具体的費用やこれと通常必要とされる就職活動費との差額等は証拠上明らかでない上、これが期待権の侵害と相当因果関係を有する損害とも認められない。

(3) 弁護士費用
上記認容額、本件事案の内容、審理の経過等一切の事情を考慮すると、Y社が負担すべきXの弁護士費用相当の損害は、10万円と認めるのが相当である。

④結論

以上によれば、Xの本訴請求は、損害賠償金110万円及びこれに対する不法行為の後である平成20年10月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

※その後、XとY社の双方が控訴し、控訴審で慰謝料50万円・弁護士費用5万円に変更された。