社会保険労務士川口正倫のブログ

横浜市の社会保険労務士事務所に勤務する社会保険労務士のブログ

【配転命令】ケンウッド事件(最三小判平12.1.28労判774号7頁)

ケンウッド事件(最三小判平12.1.28労判774号7頁)

参照法条  : 労働基準法2章、労働基準法89条1項9号
判年月日  : 2000年1月28日
裁判所名  : 最高三小
裁判形式  : 判決
事件番号  : 平成8年 (オ) 128 



1.事件の概要

Xは、音響機器、通信機器等の製造販売を目的とするY社の東京都目黒区にある技術開発本部技術開発部企画室(以下「企画室」という。)で庶務の仕事に従事していた。
Y社は、東京都八王子市にあるD事業所において、昭和62年3月からカーオーディオ事業本部向けにHIC(ハイブリッド・アイ・シー)の生産を5人態勢で開始したところ、需要見通しが大幅に増加し人員を10人に増員する必要が生じ、同事業所内の異動により同年6月、8月、9月、12月に各一人の増員を行ったが、残る1人については同事業所内では補充の見通しが立たなかった上、同年8八月及び9九月に異動した2人が同年末には退職する見通しとなったため、早急に右退職予定者の補充を行う必要が生じた。」そこで、Y社は、同事業所内技術開発本部開発第三部HIC開発プロジェクトチーム課長の希望に従い、即戦力となる製造現場経験者であり、かつ、目視の検査業務を行うことから年齢40歳未満の者という人選基準を設け、右二人のうち一人は困難ながらも同事業所内で補充を検討することとするが、残る1人は企画室を含む本社地区からの異動により補充することとし、対象となる約六〇人の女性従業員の中から右基準に該当する者を選定したところ、製造現場を約7年間経験し、年齢34歳であったXがこれに該当した。そこで、Y社は、同年12月24日、Xを異動対象者に選定し、同63年1月27日、その上司である企画室長を通じて、Xに対し、同年2月1日付けで右プロジェクトチームのHICの製造ライン勤務へ異動させる旨を内示し、同日、右異動の命令(以下「本件異動命令」という。)を行った。Xは、即日、Y社の苦情処理委員会に苦情申立てをしたが、同委員会は、同月3日、右申立てを棄却する旨の裁定を行った。
Xは、通勤時間が長くなり、三歳の幼児の保育園送迎ができなくなるため、家庭生活も破壊されるとして本件異動命令に従わず、D事業所に出勤しなかった。Y社は、事態の打開を図るため、Xと勤務時間、保育問題等について話し合ってできる限りの配慮をしたいと考えていたが、Xは、この話合いに積極的に応じようとせず、本件異動命令拒否の態度を貫き、Y社の担当者に話合いの機会を与えないまま欠勤を続けた。
そこで、Y社は、懲戒規定に基づいて、昭和63年5月6六日ころ到達の書面をもって、Xを同年5月9日から同年6月8八日まで1か月の停職とし、さらに、右停職期間満了後もXがD事業所に出勤しなかったので、同年9月23日ごろ到達の書面をもって、Xを懲戒解雇した。
これに対して、XがY社に、本件異動命令の無効等を求めて提訴した。第一審及び第二審ともにXの請求を認めなかったため、上告したのが本件である。
なお、Y社の就業規則には、「会社は、業務上必要あるとき従業員に異動を命ずる。なお、異動には転勤を伴う場合がある。」との定めがあり、Y社は、現に従業員の異動を行っている。XとY社の間の労働契約において就労場所を限定する旨の合意がされたとは認められない。

2.判決の要旨

Xは、本件異動命令発令当時、東京都品川区の借家を住居として、夫と長男(昭和59年6月生)との3人家族で生活しており、企画室までの通勤時間は少なくとも約50分であった。夫は、東京都港区の外資系の通信機器等の輸入及び製造販売を目的とする会社に勤務し、通勤時間約40分を要していた。また、同人は残業や出張が多く、本件異動命令発令前1年間の出張は、延べ19回、87七日間(うち海外が59日間)に及んでいる。X夫妻は、平日は長男を保育園に預けていたところ、それぞれの出退勤の時刻と保育時間との関係上、長男の保育園までの送迎については、水曜日はXが送り、パート勤務の保母に月1万円で迎えと夕食を含む午後8時までの自宅保育を依頼し、その他の曜日は夫が送り、Xのかつての同僚に月1万円で迎えと午後6時50分までの自宅保育を依頼していた。
Xが本件異動命令発令当時の住居からD事業所に通勤するには、最短経路で、行きが約1時間43分、帰りが約1時間45分を要する。そのため、長男の水曜日における保育園への送り及びその他の曜日における午後6時50分から午後7時35分ころまでの保育に支障が生ずる。なお、同事業所の従業員のうちには、通勤時間1時間30分から2時間20分以上を要する男性従業員が数十人、同1時間20分から2時間近くを要する女性従業員が約10人いる。
D事業所の近辺には、Xが転居を希望すれば入居可能な相応の住居が多数存在し、居住地をE中央線のF、G、H、I各駅近辺と定めた場合の夫の通勤時間は、乗車駅から約1時間である。また、八王子市内には、同事業所から徒歩15五分の範囲内に3つ、Y社の送迎バスを利用して約20分の範囲内にもう1つ保育園があり、隣接する日野市内には、徒歩と路線バスを利用して約20分の範囲内に2つの保育園があるところ、うち二つについては定員に余裕がある。
企画室長がXを退職させるための嫌がらせないし報復人事の一環として本件異動命令を行ったとは認められない。
右事実関係等の下においては、Y社は、個別的同意なしにXに対しいずれも東京都内に所在する企画室からD事業所への転勤を命じて労務の提供を求める権限を有するものというべきである。もっとも、転勤命令権を濫用することが許されないことはいうまでもないところであるが、転勤命令は、業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であっても不当な動機・目的をもってされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、権利の濫用になるものではないというべきである(東亜ペイント事件(最二小判昭和61.7.14労判477号6頁)参照)。
本件の場合は、前記事実関係等によれば、Y社のD事業所のHICプロジェクトチームにおいては昭和62年末に退職予定の従業員の補充を早急に行う必要があり、本社地区の製造現場経験があり40歳未満の者という人選基準を設け、これに基づき同年内にXを選定した上本件異動命令が発令されたというのであるから、本件異動命令には業務上の必要性があり、これが不当な動機・目的をもってされたものとはいえない。また、これによってXが負うことになる不利益は、必ずしも小さくはないが、なお通常甘受すべき程度を著しく超えるとまではいえない。したがって、他に特段の事情のうかがわれない本件においては、本件異動命令が権利の濫用に当たるとはいえないと解するのが相当である。
また、Xが第2子を妊娠したのは、本件異動命令の後であるから、同命令の効力を左右しないことは、いうまでもない。
したがって、本件異動命令に従わなかったことを理由としてされた本件各懲戒処分には、所論の違法はないものというべきである。

3.元原利文の補足意見

私は、法廷意見の触れていない点について、補足的に考えを明らかにし、本判決の理解に資したいと考えるものである。
① まず、所論は原審の事実認定を非難するが、法律審である当審は、原審の事実認定に経験則や採証法則に違反する違法が認められない限り、これを前提として法律上の問題について判断をすべきであることは、改めていうまでもないところである。この観点からすれば、原審の事実認定は、細部にわたってそのすべてを正当といえるか否かはともかくとして、右違法があるとまでは認められず、これを是認するほかはないというべきである。
 そして、法廷意見の要約する原審の適法に確定した事実関係に基づく限り、Xを本社からD事業所まで転勤させる権限がY社人にあったということは否定し難いものというほかはない。
② もっとも、原審の認定事実からは必ずしも明らかではないが、論旨によるXの学歴とXとY社との間に雇用契約が締結された時期とを考えると、このような経歴の女性労働者については、特段の事情のない限り、明示的な合意をしないでも、広域での異動をしないことが黙示的に合意されているとみられるのであって、原審が就労場所を特定の勤務地に限定する合意がされたとは認められないとしているのも、東京都内において勤務場所を変更する異動が命じられたという本件事例を前提としたものと理解すべきであり、より広域の異動についてもY社に転勤命令権があるとしたものではない。また、このような労働者の異動については、転勤命令権の濫用の有無についての判断においても、高学歴の営業担当者等の異動の場合と比較して、より慎重な配慮を要するというべきである。
③ 次に、論旨は、本件異動命令がXに負わせる不利益の程度を検討するに当たって、本件異動命令が転居を伴わないものとして発令されたことを前提とすべきであるという。
 異動先が遠いために必然的に転居せざるを得ない場合であれば、そのことを前提として、異動命令に伴う労働者の不利益の程度を判断すべきであることは、当然であろう。しかしながら、異動先が比較的近い場合には、労働者が転勤命令に対応して長距離通勤のみちを選ぶか転居のみちを選ぶか、また、転居の場合に家族と同居のみちを選ぶか別居のみちを選ぶかは、通常の場合、当該労働者ないしその家族の判断に懸かっているものであり、異動を命ずる使用者が決定する事柄ではない。したがって、転勤命令に伴う不利益が当該労働者において通常甘受すべき程度にとどまるか否かは、これらの選択肢のいずれかのみを前提に決するのではなく、異動命令当時における当該労働者の置かれた客観的状況にかんがみて現実的に選択可能なみちの中に通常甘受すべきものがあるのであれば、当該労働者がより不利益性の高いみちを選択しようとする場合であっても、それは当該労働者自身の選択の結果というべきであり、使用者のした転勤命令権の行使を権利の濫用とすることはできないものというほかはない。
本件においては、家族と共に東京都品川区に居住していたXが同目黒区の職場から同八王子市の職場への転勤を命じられたというのであり、必然的に転居せざるを得ない異動とはいえない。したがって、X及びその家族にとっては、転居しないでXが長距離通勤をするみち、家族全体が転居をしてXの夫が長距離通勤をするみち、Xが長男と共に転居して夫と別居するみちなどが選択肢としてあり得ることになり、そのいずれを選択するかはXないしその家族の決定に任されているのであって、Y社がXに転居をしないで異動するように命じたものでないことは、いうまでもない。そうすると、これらのみちのいずれかによるならばXの受ける不利益を考慮しても転勤命令権の行使が濫用にわたるとまでは断じ難いというのであれば、Xないしその家族がこれらのいずれのみちを現実に選択したのかにかかわりなく、本件異動命令を無効ということはできないものといわなければならない。
ところで、このXの負わされる不利益の程度に関する判断の過程において、原審は、Xが長距離通勤のみちを選んだ場合においても、長男の二次保育に生ずる支障が解決可能であったと判示している。しかし、これは原審の認定事実を基にしても明確な裏付けを欠いた判断といわざるを得ず、直ちに是認し得るか疑問なしとしない。したがって、そのことを根拠に本件異動命令による不利益が上告人において通常甘受すべき程度にとどまると結論付けることは早計というべく、この点に関する論旨の指摘は、考慮に値するといわなければならない。
しかし、本件事実関係の下においては、Xが転居のみちを選ぶことも客観的状況からみて十分にあり得る選択肢と考えられるところであって、そのみちを選ぶならば、Xの従前の住居が借家であること、転居先も同じ東京都内であること、夫の通勤時間の延長も比較的短く抑えることが可能であること、転居先で長男の保育先を確保することはさほど困難であるとはいえないことなどを指摘することができる。したがって、Xないしその家族の負わされる不利益は、決して小さくないものの、なお通常甘受すべき程度を著しく超えるとまではいえないと判断されるのである。なお、現実にはXの夫が転居のみちに賛成しなかったことがうかがわれるのであるが、既に述べたところによれば、同じ状況の下において、転勤命令が、夫の賛成を得られたならば有効となるが、これが得られなかったならば無効となるというように判断すべきものではないから、右事実関係の下において夫が転居のみちに賛成することは通常期待し難いとまではいうことができない以上、この事情は右の判断を左右しないものというほかはない。また、いうまでもないことであるが、本件異動命令の後にXが第二子を妊娠したことも、同命令の効力を左右せず、したがって、同命令に従わないことを理由とする懲戒処分の効力にも影響しないといわざるを得ない。
⑤ 以上に述べたとおりであるから、本件事実関係の下においては、本件異動命令を違法と断ずることはできないといわざるを得ない。しかしながら、近時、男女の雇用機会の均等が図られつつあるとはいえ、とりわけ未就学児童を持つ高学歴とまではいえない女性労働者の現実に置かれている立場にはなお十分な配慮を要するのであって、本判決をもってそのような労働者であっても雇用契約締結当時予期しなかった広域の異動が許されるものと誤解されることがあってはならないことを付言しておきたい。

長期雇用システム下において、企業が活発に人材の調整を行う人事管理を是認した判断といえるが、本件以後、平成13年(2001年)に改正された育児介護休業法は、子の養育または家族の介護状況に関する使用者の配慮義務を定め(同法26条)、平成19年(2007年)に制定された労働契約法は、「仕事と生活の調和」への配慮を労働契約の締結・変更の基本理念として規定する至った(同法3条3項)。加えて、少子化や労働者の健康の問題との関連で、ワーク・ライフ・バランスの社会的要請も高まっている。このような社会的状況のなかでは、今後は、配転命令の権利濫用判断における「転勤に伴い通常甘受すべき程度の不利益」であるか否かの判断基準は、「仕事と生活の調和」の方向へ修正されていくことが予想されよう。企業の人事管理も、家族の介護のみならず育児のための必要性、夫婦や家族の一体性などに対しより丁寧な配慮が必要とされていくものと思われる。菅野和夫『労働法』第十二版732頁引用